志村けん さんに学ぶ「志」 ~感謝と追悼、そして、その先へ~

次は「笑いと悲哀」についてですが、これは、コントで、キャラクターを作って臨むのではなく、敢えて『 普通のおじさん、お父さん 』を演じた事についてのものです。

志:「 これも狙いがあるんだよ。
    お父さんは一生懸命頑張っているのに、今はあんまりね、、、ちゃんとしてくれる家庭もあるだろうけど、わりと寂しいじゃない。

    でも、お父さんが頑張っているのを、家族がもうちょっと、たまには感謝しようよ、とかいうのがあるから、ああいう(いわゆる、家庭内での冷遇?されているおじさんやお父さんという姿の)寂しいコントを見せると、何か見てた人が、あ、お父さんに今度、優しい言葉でもかけようかな、ってなるじゃないですか(という狙い)。

 

ここでは勿論の事、「男性」と「女性」や「お父さん」と「お母さん」という「区別」を設けている趣旨ではないのはお分かり頂けるかと思います。
現に、全員集合などでの志村さんは、主婦や子どもなどのキャラクターも、その当時の様相を反映して演じておりましたのはご存じの通りです。
リーダーのいかりや長介さん扮する「お母さん」の光景は多くの方が目にしていた事かとも思いますし(笑)

そして、この番組内では触れられておりませんでしたが、最近私が観た別の番組では、先ほどの志村さんがライフワークとしてやっている舞台においては「笑いと悲哀」の「重なり」と「繋がり」とを表現しようと試みていたフシが多々見受けらます。
そして、ここでは、「(他の)人を変えようとする前に、まずは、自分が変わること」という視点との、「繋がり」と「重なり」も見受けられるように感じます(笑)

 

次は「考える(考え続ける)」についてです。

P:「 こういう時に思いつくとかってあるんですか? キャラクターとか、台本の内容とか、ハッ!て閃く時とか、どういう時とかあるんですか?

志:「 う~ん、どこっていうのはないけども、常にあるから、(頭を指して)この辺に、どうしよう?どうしよう?って。
    それがあんまり重なってくると、イライラしてくるんだけど、ずーっと人間こうやって、台本作ろう作ろうって考えてても、集中力って20分くらいしかないんだよね、基本的に。

    あとは、もう考えているフリしてるだけで、本当、皆そうよ、俺の周りにいる人って。
    もう、なんだろうね~

だから、基本的に考えるのが一番辛いから、それが嫌だから、今の人はそれをやらないんだよね。

    セット作ってコントなんかやらないじゃないですか、他の人も、皆おしゃべりの方で、僕はおしゃべりが下手だから、おしゃべり上手い人の方が凄いと思うの。
    本番30分前に行って、パァ~っと出来る訳じゃない。
    僕は3日くらい掛けて台本作って、セットをチェックして、色々全部やってやる(本番に臨む)から、大変な、結構労力がいるのね。

    だから、皆それを避けて通るんだよね。

    でも俺はそれがクセになってるから、40年もやっているから、それをやるから、なんか、生き残っているのかなぁ。
    人が嫌がる事を、、、だと思うね(笑)

 

勿論、志村さんは他の芸人の方々などを「否定や非難」しての趣旨でない事はお分かり頂けるかと思います。
そして、『 集中力って20分くらいしかないんだよね、基本的に。 』という視点を持てているという事は、「常に考え続ける(常に考え続けられる)」為にはどうしようか?という視点も「源」に持ち続けているからこそ、出て来る発想でもあります。
多くの人が「考えない」、これが「無関心」を産みだしている最大の原因であるのは、論を待たずです(笑)