ガンジーを反面教師にする拘(こだわ)りの功罪 ~自律・自立への活用も~

第507回:『 ガンジーを反面教師にする拘(こだわ)りの功罪 ~自律・自立への活用も~ 』

【 その他参照ワード:非暴力、不服従、独立運動、塩の行進、チャルカー、糸車 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!

TOPICSでは《 自らの軸や芯 》を創造する事、その為に日常で実践出来るのが《 思い・言葉・行動の一貫性 》を保つ事と伝えています。

しかし、それと同時に《 過度な二者択一 》に陥らない事の大切さと必要性も伝えていますが、最初の2つの視点と3つ目の視点に矛盾を感じそうになる人も多いです(笑)

そこで今回は「メタファー(物語や比喩)」を活用し、その真意を届けてみます!

 

では、『 ザ・プロファイラー 』(NHK BS)という番組から「マハトマ・ガンディー 不屈の精神の光と影」の回を少し眺めてみます!

ガンジー(本名:マハトマ・ガンディー)の名は多くの人が知っているでしょうし、その姿も何となくイメージ出来る人は多いかもしれません(笑)

 

 

ただ、ガンジーの「人となり」については、ほとんど知られていないのも実態です!

なぜなら、専門家の間でもガンジーの真の実像は掴めていない、、、と言われるからです(笑)

ガンジーは「インド独立の父」と言われ、何より有名な言葉が、

 

非暴力 そして 不服従

 

になります!

ちなみに、この「非暴力・不服従」は「サッティヤーグラハ」と呼ばれ《 真実にしがみつく 》という意味ですが、今回取り上げるのは「拘(こだわ)りの功罪」です(笑)

 

【 裕福な若かりし頃のガンジー 】

ガンジーは1869年にインドで誕生します。

この頃のインドはイギリス(帝国)の植民地であり、民衆は圧政や重税に苦しめられていました。

しかし、ガンジーの父は地方を治める役人のトップであった為に、とても裕福な家庭で、敬虔なヒンズー教徒でもありました。

11歳の時に地元の名門校に進学しますが、タバコや盗みをしたりなどの問題児でもありました!

 

【 イギリスに憧れるガンジー 】

1883年の13歳の時に慣習に従いガンジーは結婚し、18歳の時に長男が生まれます。

しかし、イギリスへ憧れを持っていたガンジーは、同じく18歳の時に弁護士になる為に妻と子をインドに残し、一人イギリスへ留学します!

そのイギリスでは髪を整えスーツを着て、イギリス紳士になろうと奮闘!?していきます(笑)

 

ただ、それと同時に初めてヒンズー教の聖典を本格的に読み込み、教えとして説かれていた「欲望を抑えコントロールすること」を学んでいきます。

更に、この留学時代に様々な宗教も研究し、それが後のガンジーの《 糧 》となっていきます、、、

 

 

【 人生初の人種差別を受けるガンジー 】

1893年の23歳の時に弁護士として南アフリカへ向かいます。

当時の南アフリカもイギリスの強い支配下にあり、インドからの出稼ぎ労働者も多数いました。

南アフリカへ到着して僅か1週間後にガンジーは人生初の経験をします!

ガンジーが汽車の一等車に乗っていたら『 一等車は白人専用だ 』と乗務員に言われ、キップを持って乗っているにも関わらず、強制的に降ろされてしまいました。

これが、ガンジーが人生で初めて受けた「人種差別」になります、、、