次は「動機」についてです。
P:「 コントってものを好きになったのは、いつからなんですか? 」
志:「 コントって、、、う~ん コントが何かよく分からないんだけど、何か、あの~、素では俺そんなに面白くないんですよ。
普段そんなにワァワァしゃべる訳でもないし、それか、なんか、こう、カツラとか、何か、役に、その人になると、何か出来るのね。
大胆な事もいける気がするのね。
それからだね、役に扮すると、こうなるっていうのがね。
だから、普段は凄いマジメなんですよ、こう見えて(笑)
俺、だから、最初の頃はトーク番組でも扮装して出ましたもん(笑)
ダメなんだよ、素を見られると(笑)
でも、最近少し成長したんだね(笑) 」
ここでは、最初に私がコメント致しました『 志村さんの「人となり」にとても興味や関心を持っていたのを覚えております 』に対するある種の答えが現れておりますが、このTOPICSにおいても「大切なのは真の動機」という事をお伝えもしておりますが、その「真の動機」を探す為には、「自分を知る」という作業も同時に必要になってくるのが、ここでの志村さんのコメントにも表現されているようにも感じます。
その「なぜなら~」は、『 でも、最近少し成長したんだね(笑) 』という部分に「反映」されているのかもしれません(笑)
次は「内面(側)と外面(側)」についてです。
P:「 (長く同じキャラクターなどをやり続けている事に関して)飽きたりする事はないですか? 」
志:「 飽きはしないね、大事にしてる。
この人(キャラクター)に今度、何やらせようか?と思うの、ネタを考える時に。
今度このおじさんに、何させてやろうかな?って考えるから。 」
P:「 じゃあ、客観的に、その、自分で演じられているけど、客観的にそのキャラクターを見ているんですね? 」
志:「 常にそう。
自分でやっている事は、上からもう一人の自分が見ていないと。
(観客などに)どう受けとめられているかってのは、自分でもう一回見ないといけないからね。
この人はこういう事やるけど、このキャラクターの人は、こういう事やらないよっていうのは、ちゃんと、一応、自分の中では分けてる。 」
ここでの「内面(側)と外面(側)」という視点はもうお分かりかと思われますが、言葉を変えれば「主観と客観」も同じ意味です。
前回のTOPICSにおいては、湯川秀樹 氏の言葉をお借りした「離見の見」も同様です。
そして、「お天道様は見ている」「壁に耳あり障子に目あり」という言葉もありますが、昨今はこのような視点がかなり失われつつある社会や世の中です。
この「誰かが」見ている、あるいは「自分は」見ているという視点は、「自律・自立」には欠かせない要素となっております(笑)