人類は・・・
常に病と・・・
イタチごっこを続けている
のも確固たる事実です。
そして、
イタチごっことは、言わば・・・
自らの尻尾を捕まえようと・・・
ひたすらクルクル廻り続けている
ような状態や性質のものです。
つまり、
私達は・・・
何かに・・・
気づけていない
という可能性が高くあるという事を意味しているように、私には思えてなりません。
そして、鶏が先か?卵が先か?と同様に、
心(意識)が変われば病が無くなるのか・・・
あるいは・・・
病が無くなれば心(意識)が変わるのか・・・
という「命題」とも結び付いていきます。
なお、私は現在何かしらの病などと懸命に向き合っている方々を揶揄したり、あるいは、その病の原因がその人にあると申し上げている訳では決してございません。
それは、前半における『即効性という意味では薄いかとも感じます』という私のコメントにも表しておりますし、ウイルスなどにおいてはマスクや手洗いやうがいなどの出来る範囲内での予防策を講じるのも必要な事でもあります。
なぜなら、これらも「調和とバランス」の現れとなるからです。
そして、心(意識)と病の関連という「命題」においては、
どちらが「先」か・・・どちらが「後」か・・・
ではなく・・・
「同時進行」
というスタンスで考える事が必要になってきます。
つまり、
この「同時進行」の表現を変えたのが・・・
「繋がり」と「重なり」
と繰り返し述べてきた視点でもあります。
そして、この「命題」においては、
私達とは・・・
本当は・・・
どういう存在なのか?
を考え抜く事も必要になります。
そこで、先ほどWHO(世界保健機関)についても少し触れましたが、2016年2月11日のTOPICS「WHO(世界保健機関)と発霊法」において、私は次の事をお伝えしておりましたが、再掲致します。