こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

前回のTOPICSの最後でお伝え致しました通り、今回は「魂の視点から考える「安楽死と尊厳死」 ~「自殺」との関係性も含め~」というテーマをお届け致しますが、医学や科学などが目覚ましい発展を遂げている中で、人の「生死」というものが、突き詰めて言えば、「人間」という存在そのものが、どこか「無機質」のように扱われ始めている傾向もあり、そして、世の中や社会においては、今までの常識などが通用しなくなりつつある状況も含め、今回のテーマをお届けするに至りました。

 

また、今回も魂の視点と銘打ってはおりますが、これは、昨今の魔法であるかの如く、過剰な現世利益の追求のみを追い求める傾向が見られるような、浮ついた感のある一部のスピリチュアルとも違います。
言ってみれば、今回のテーマは、

 

私達が・・・

私達という自らの存在を・・・

どのように捉えていくのか・・・

 

との、ある種の、最大で最難関とも言えるかもしれない大切なテーマです。
そこで、まず最初に、「安楽死」とは少し違いますが、私が今回のようなテーマを最初に考え始めるようになったキッカケを少しお話させて貰います。

 

確か、今から十数年程前だったかと思いますが、ある一つのニュースを見たのがキッカケです。
そのニュースとは、ある女性アナウンサーであった方が、髪の毛に何かが触れると全身に激痛が走る難病を患い、それが元で「自殺」をしたという出来事です。

髪の毛ですので、髪を切ったり整髪も出来ず、眠る際にも枕を使えず、また、時には、少し強めの風が髪の毛に当たるだけでも激痛が走る事もあると、その当時のニュースでは紹介されていたと記憶しています。

このニュースを見て、もし自分であれば、、、どうするであろう、、、果たして、耐えられるものであろうか、、、など、と考えた事が始まりでもあります。

そこで、まず最初に、正直に私の心情をお伝え致しますが、

 

今回のテーマに関しては・・・

私も未だに暗中模索のように・・・

考え続けている・・・

 

という事です。
故に、今回のTOPICSにおいても、正解や答えというものでは決してなく、また、魂の視点の活用を試みても、やはり、「生身」の人間でもあり、そこには「感情」も絡んでくるという、揺れ動きを感じるのも正直な心境です。
しかし、だからと言って、このようなテーマから目を背け、無関心を装ったり、考えないようにする事は私には出来ませんので、今の所の私なりの「表現活動」として今回も進めて参ります。

 

そして今回においても、善悪や是非や賛否などの「二者択一」という問題ではなく、また、非難や否定などのようなものでも全くなく、皆さんが、もし自分の事であれば、あるいは、もしご家族や知人などの事であれば、という「想像力」も活用し、そして、いつもお伝えしておりますように「考える素材」としての意識を持って読み進めてみて下さい。

 

では、今回はNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」という番組を元に進めて参りますが、あくまで今の所の私の「表現活動」として、この番組を私なりに整理や再構成してお届けして参りますのと、この番組内で行われたインタビューという当事者の方々の「肉声」を出来うる限りご紹介もして参ります。

 

では、「安楽死」と「尊厳死」との違いなどは、後ほど、この番組内で紹介されていた定義なども含めてご紹介して参りますが、まず、最初に、今回のテーマに魂の視点を当てはめると、どのような捉え方や方向性になるのかを、最初にお伝え致します。
それは、

 

(あくまで)魂の視点における捉え方としては・・・

「自殺」であろうと・・・

「安楽死」であろうと・・・

 

「死」を遂げる為の・・・

「方法」の違いであって・・・

 

あらゆる「自殺」が同列に語る事が出来ないのと同様に・・・

「自殺」においても・・・

「安楽死」においても・・・

 

問われてくるのは・・・

「真の動機」・・・

 

という事になります。
また、ここで誤解の無きようにお伝え致しますが、「真の動機」が正しければ、「自殺」も「安楽死」も正当化されるのか?という、「短絡的な捉え方」は決してしないようにして下さい。

 

なお、魂の視点における「尊厳死」の捉え方においては、「寿命」とも言うべき、それまで(寿命まで)の人生を生き抜くという姿勢(人生の質)に役立て、資するものとして捉えられますので、そこには様々な「選択肢」が存在しており、また、そのどれをも「自由意思」で決断出来るという意味から、基本的には魂の視点において「尊厳死」が問題となる(問われる)ケースは比較的少ないものであります。

 

では、ここからは、この番組内で紹介されていた資料も基にして、「安楽死」と「尊厳死」の違いなどを含め少しお伝えして参ります。

 

《 消極的安楽死(尊厳死) 》 → 「(過剰な)延命措置の中止・差し替え」であり、日本でも終末期医療(ホスピス等)で行われ始めている

 

《 積極的安楽死 》 → 「致死薬の処方・投与」であり、(現在の)日本では認められていない

 

という大まかな分類がされています。
そして、(現在における)世界各国においては、「安楽死」が合法として扱われている国も少数ありますが、それが、以下の通りです。

 

・ アメリカ(一部の州)  ・オーストラリア(一部の州)  ・コロンビア  ・オランダ
・ ルクセンブルク     ・ベルギー           ・カナダ    ・スイス

 

となっています。
そして、これからご紹介する番組内ではスイスが舞台となっておりますが、このスイスにおいては「「患者自らで」医師が処方した致死薬を服用・点滴する事で、民間の安楽死団体が、(「合法」とはなっていない)海外からの希望者も受け入れている」というのが背景にあります。

 

では、ここで少し、このスイスでの取り組みを見ていきます。
スイスでは、幾つかの民間の安楽死団体が存在しているそうですが、今回の番組名にもある「彼女」が赴いたのは、2011年に設立された「ライフサークル」という安楽死団体です。
この番組の取材当時では、およそ1,660人が登録をしているとの事でした。

そして、この団体の代表であり医師でもある、エリカ・プライシック氏は、次のように述べておりました。

 

『 (日本人の申し込みが)急激に増えていると感じています。 』

 

と。
勿論、今回のテーマは日本人や外国人などの区別が存在する訳ではありません。
そして、この団体においては、「安楽死」を施すに際し必要な主要件として、以下の4項目を掲げているそうです。

 

〇 耐え難い苦痛がある
〇 (ご本人が)明確な意思表示が出来る
〇 回復の見込みが無い
〇 治療の代替手段が無い

 

このような方針の基に、エリカ医師は次のようにも述べておりました。

 

『 スイス人が最も重要視しているのは、自らの権利を行使したいという事です。

  生きることも、死ぬことも、私(達)に与えられた権利だと思います。

  いつ、どうやって、死ぬのか、自分の希望に従い決めるのが大事です。 』

 

では、ここからは、この番組に出演なさって、2018年11月に、このスイスの安楽死団体で「安楽死」により生涯に幕を閉じた、「小島 ミナ 様(女性・51歳)」などの、インタビューでの「肉声」も交えて進めて参ります。
なお、ミナさんは姉2人と妹1人の4人姉妹です。

 

ミナさんは体の機能が奪われていく神経難病「多系統萎縮症」という病気を患っており、全身を激しい痛みが襲う為、薬によって症状を抑えていました。
彼女は48歳の時に、この病気の告知を受け、その後の命を延ばす為には、人工呼吸器や胃瘻(いろう)が必要になるとも告げられていたそうです。

 

ただ、この病気の発症当初は、ミナさんも生きる希望を持っていましたが、2018年3月に、別の医師からも診察を受ける為に、ある病院を訪れた際に、将来、自分に必要になると告げられていた人工呼吸器などを付けた患者さんを目の当たりにした頃から、気持ちが変わっていったそうです。

このような気持ちの変化や状況の中、ミナさんが「自殺」を試みようとしているのでは?と感じたお姉さんが、ミナさんを問い質した所、次のような言葉をミナさんから投げかけられたそうです。

 

『 自分はいずれ寝たきりになって、今度はおしめを替えてくれても、「ありがとう」も「ごめんね」も、ろくに言えなくなる。

  人にして貰って、「ありがとう」が言えなくなる人の気持ちを考えてみた事があるのか、、、。 』

 

そして、この会話をした当日の夕方、ミナさんは「自殺」を試みましたが、この時は未遂で終わり、その後も幾度か「自殺」を試みたそうです。

そして、この辺りから、ミナさんは「安楽死」を考え始めていって、先ほどの、スイスの民間の安楽死団体「ライフサークル」に登録をする際に、次のようにメールで言葉を添えていました。

 

『 私が私である内に、安楽死を施して下さい。 』

 

と。
では、ここで、「安楽死」を実行する前後における、ミナさんのお姉さんが語ってくれた言葉を少しご紹介して参ります。

 

『 私達は、間違った事をしてるんじゃないんだよね、、、

  本当に、これでいいんだよねって、、、

  本当に「安楽死」を受け入れていいのか、どうなのかと、苦悩がありました。 』

 

『 (ミナさんが)毎日のように「自殺」を考えて、苦しんでいた時の事を考えると、逆に、私達が取り乱す事も良くないだろうなって。

  本人を悲しませる事になるし。

  勿論、日本では(「安楽死」は)認められていませんから、誰にも伝える事も出来なかったし、誰にも相談する事も出来なかったし、、、。 』

 

では、ここからは、生前にミナさんがインタビューで胸の内(心情の吐露)を語ってくれた「肉声」の一部をご紹介させて頂きます。

 

『 私が寝たきりで、天井をずっと見つめてても、苦しがっている様子を見ても、生きてて欲しいって言いますか? 』

 

『 (病気の進行により)確実に私が私らしく無くなるんですよ。

  それが怖かった。

  天井を見ながら毎日を過ごし、時々食事を与えられ、時々おむつを替えて貰い、果たして、そういう風な日々を毎日過ごしていて、それでも生の喜びを感じているのか、生きていたいと思っているのか、自問自答するわけです。 』

 

『 自分で死を選ぶ事が出来るということは、どうやって生きるかということを選択する事と、同じくらい大事なことだと思うんです。

  私の願いでもあるんですよ。

  「安楽死」を、みんな(日本)で考える事は、、、 』

 

それでは、ここで、「安楽死」に反対していた妹さんからのメールに対する、ミナさんのコメントをご紹介致します。

 

妹さんからのメール:
『 鎧を脱いで、人の助けを得ながら生きて欲しい。 』

 

それに対し、

ミナさんのコメント:
『 私に鎧を取って、これからは何も出来ない人で過ごすのもいいって、反発心もあったけど、反面、それを認めている自分もいた。 』

 

それに加え、

ミナさんのコメント:
『 (しかし)周りの人間も苦しい。

  (家族が)お互いに疲弊する事が、容易に想像出来たんですよ。 』

 

それに対する妹さんの思いは、

妹さん:
『 姉の病気は大変重くて、絶望しかないように思いがちですが、こんな私でも生きていて良いんだと、人の力を借りないと生きられない自分でも良いんだ、という風に思って欲しかった。

  「安楽死」でない方向へ気持ちが向いて欲しい。

  その、一心でした、、、。』

 

では、この番組では延命措置を選択した方も紹介されておりましたので、ここから少し、その方とご家族のご意見なども見つめて参ります。

その方は「鈴木 道代 様(女性・50歳)」で、45歳の時に、同じく「多系統萎縮症」と診断されました。
道代さんは、僅かに動く手や指を使って、パソコン上で意思を伝えたり、「イエス」の時は目を瞑ったりなどでコミュニケ-ションを取っています。
そして、道代さんには、お母様と娘さんがおります。

 

このような現状の中、これから先、人工呼吸器を使って生きていくかの確認を、お母様と娘さんは道代さんにする必要が生じていました。
その事について、次のように述べておりました。

 

娘さん:
『 本人に問い掛けるのが怖かったかもしれないね。

  姿があるって事は、生きてるって事でしょ。

  姿があるか無いかは、私の中で凄くでっかい。 』

 

お母様:
『 それは、、、そうだよね、、、。 』

 

そして、人工呼吸器をつけて生きていく事に対して、道代さんに問い掛けた所、

道代さん:
(目を瞑って)『 イエス 』

 

と答えました。
さらに、パソコンを活用した上で、

『 生きていきたい。

  負けないで頑張りたい。 』

 

とお答え(意思表示をして)になっておりました。
そして、そのような道代さんの意思を確認出来たお母様と娘さんは、

 

『 本人が、こうやって向かって(病気と)闘うって事は、家族としては、ありがとうだよね。 』

 

と、思いが一致しました。
そして、この番組の取材者が、道代さんに「生きる支えは何ですか?」との質問をした所、

 

道代さん:
『 家族。 何気ない会話。 』

 

と答えておられました。

では、ミナさんに話を戻しますが、スイスに赴いて、医師から「安楽死」の主要件や最終意思の確認をされ、数日後に「安楽死」の実行を決意した夜の、お姉さんとミナさんの会話です。

 

お姉さん:
『 言葉が出ないね、、、

  言葉が出ないよ、、、

  これでいいんだろうかね、、、 』

 

それに対して、

ミナさん:
『 キリが無いんだよ。

  人間なんて、いつ死んでも、今じゃない、ような気がするの。

  私だって、ひょっとして、今じゃないかもしれない気持ちは、無きにしもあらずよ。 』

 

そして、「安楽死」の実行の前夜、お姉さん達とミナさん3人での、最後の晩餐での会話の様子も紹介されておりました。
なお、お断りしておきますが、「最後の晩餐」という表現は、この番組内で使われていた言葉であり、私も他に適切な言葉が見つからなかった面も含め、不適切と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、放送そのままの表現を掲載しております点を、ご了承頂ければ幸いです。

 

そして、そのように、笑顔も含めながらの食事も終わり、この番組では、翌日、ミナさんが自らで点滴開始を手掛け、そして、今回の生涯の幕を閉じる迄の様子(死に至る迄の様子)も放映されておりましたが、お姉さんが、「ミナちゃん、ありがとね。」と言葉を掛けてくれたのに向けて、ミナさんが笑顔で、本当に「最後の言葉」を発してくれた所をご紹介致します。

 

『 こちらこそ、ありがとう。

  最後に、こんなに見守られるなんて、想定外、ほんと。 』

 

そして、お姉さんが「ごめんね。楽になれるね。」と続けた言葉に対し、ミナさんは、薄れゆく意識の中で、

 

『 そんなに、体は辛くなかったよ。

  病院に、いつも来てくれたから。

  すごく、幸せだった。 』

 

と、最後にお答えになられて、今回の生涯の幕を、自らで下ろされました。
そして、日本では「安楽死」は認められていない為、ご遺体は日本に帰らせてあげる事はせずに、スイスで火葬し、ご遺灰はスイスの川に受け入れて頂いたとの事でした。

 

このように、本当の「人の死の場面」をTVで放映する事に対し、様々なご意見やご感想をお持ちになろうかとも思いますが、最初に私がコメント致しましたように、「人の「生死」というものが、突き詰めて言えば、「人間」という存在そのものが、どこか「無機質」のように扱われ始めている傾向があり」という所から、

 

この番組を・・・

最後まで見る事が出来ない人も・・・

(もしかしたら)いらっしゃるかもしれない・・・

 

との印象や感想を、私は正直に言って、持ちました。
これは、この番組内容への非難や否定ではなく、逆に、近頃では、小さいお子さんなどに、例えば、ご祖父母さんなどの臨終に立ち会わせてしまうと、衝撃が大きくショックを受けてトラウマになってしまうのでは?などのように、これも過剰に「死」から目を背け、ひたすらに「死」を排除しようとする姿勢とも繋がっているようにも感じます。

そのような観点からの私のコメントでありますのと、人それぞれにより、子どもさんであろうと、大人であろうと、様々な受け止め方や、心の整理の仕方などがございますので、私は臨終に立ち会わせるべき、などと申している訳では決してございません。
あくまで、それぞれお一人お一人が判断するのが大切です。

そして、ミナさんが最後に発した、「そんなに、体は辛くなかったよ。」との言葉に、

 

本当に辛かったのは・・・

「心」であったのかもしれない・・・

が、しかし・・・

その「心」に寄り添い救ってくれたお姉さんなどに向けての・・・

『 すごく、幸せだった。 』

 

との「言葉と思い」も本当であろう、、、と感じた次第でもあります。

そして、エリカ医師は、この番組内で、次のようなコメントも残しております。

 

『 自分が死にたいからといって、家族を傷付けてはいけません。

  大切なのは、本人がきちんと別れを言い、家族が本人の気持ちを尊重する事です。 』

また、

『 もし、彼女(ミナさん)がスイスに住んでいて、長距離移動しなくて済むのなら、、、

  こんなに早く死を選ばなくても良かったはずです。 』

 

と。
おそらくですが、この後半の言葉は、「安楽死」を施して貰う為には、長距離移動(今回のケースでは、日本からスイスに赴く)に耐え得るだけの体力が残されているのが必要であり、もし仮に、日本でも「安楽死」が認められていれば、(長距離移動の為に体力を残す事のないギリギリまでという観点で)「こんなに早く」という意味合いでコメントしたのであろうと思います。

 

それでは、今回の番組のご紹介はここで終了ですが、皆さんなりの、様々な思いやご意見やご感想が、胸に去来した事とも思われます。
故に、この先、私が何かをコメントする必要性も無いかと思われますし、やはり、お一人お一人が「考える」事が大切なテーマであろうと感じます。

 

それを踏まえた上で、少しだけ私の視点を述べさせて下さい。
なお、ここでも、私は何かを(絶対的に)否定や非難をする趣旨も、そのような思いも全くございません。
皆さんなりの「考える素材」において、少しでも、何かしらの「考える」際のヒントにでもなればとの思いからのものであります。

 

まず、ミナさんが「私の願いでもあるんですよ。「安楽死」を、みんな(日本)で考える事は、、、」とコメントしていた通り、様々に「考え」、そして、様々な「意見などを交わす」のは、とても大切であり、必要な事でもあります。
なぜなら、

 

「安楽死」という問題を考えるという事は・・・

ひいては・・・

「自殺」という問題を考える事にも繋がっており・・・

 

「尊厳死」という問題を考えるという事は・・・

ひいては・・・

「生きる質」という問題を考えるという事にも繋がっており・・・

 

「死」という事象は・・・

私達、誰もに「共通」している事柄であり・・・

 

「死」という問題を考えるという事は・・・

ひいては・・・

「生(生きる)」という問題を考え・・・

「生(生きる)」に光を当てる事にも繋がっている

 

からです。
そして、最初にコメント致しました通り、私も迷いながら、暗中模索をしながらですが、今回のテーマにおいて魂の視点を活用しても、やはり、

 

「真の動機」・・・

 

という面が問い掛けられているようにも感じます。
そして、今回の私の迷いや暗中模索のように、

 

魂の視点と言えども・・・

「知っている」だけでは(上手く)機能せず・・・

 

様々なケースに「当てはめ」て、自分なりに「考え」てみて・・・

出来る範囲内で、徐々にでも構わないので・・・

 

身近な出来事から・・・

実践という「行動」に移してみるのが大切・・・

 

と言う風にも、改めて感じた次第でもあります。
勿論、これも先にコメント致しましたように、このような魂の視点を「尊厳死」に当てはめるのは「人生の質」を考えるのに、役立つ面も多々ありますし、そのような観点からは活用して頂くのも全くの自由です。

 

そして、このような魂の視点においては、「安楽死」や「自殺」というのは、その視点から外れたものになりますが、なぜ外れるのか?という点を考える際には、「寿命」という観点も含め、「真の動機」を真剣に見つめる必要性が生じるという意味合いでもあります。

そして、これも繰り返しですが、「自殺」と「安楽死」が「方法」の違いであると仮定しても、やはり「真の動機」に行き着く事になります。

 

そして、この「真の動機」を「考える」私達は、「生身」の人間であり、そこに「感情」も絡んでくるといったように、様々な視点や事柄が「重なり合ってくる」というのも真実です。

 

そして、今までも、このTOPICSを継続してお読みになって頂いてる方々におかれましては、私は「自殺」を容認した事は一度もありませんが、ただ、同じく「自殺」と言っても、最初にご紹介した女性アナウンサーの方のようなご病気の場合や、あるいは、借金苦などもある事でしょうし、失恋などのケースもある事でしょうし、それこそ、千差万別かと思います。

これは、当の「ご本人様」にしか、分からない面も多々ある事と思います。

 

故に、今回のTOPICSのテーマにおいても、「自殺」は(出来る事なら)防ぎたい、そして、「安楽死」というケースでは、(救急などの場合も含め)ご本人様が望む中での必要最低限の延命措置は受けながらも、心や体に無理な過剰な負担を出来るだけ強いる事もなく、痛みなどであれば出来うる限り緩和したりなどの、自然に近い「尊厳死」という「人生の質」という面にも、一度は目を向けてみる一考にでもなればとの「思い」で取り上げております。

勿論、このような事は、ご家族や身の周りの方々、そして、このような「輪」というものは、最終的には「社会全体」にまで広がっていくものです。

ただ、そのような中で、ご本人様においては、

 

人に迷惑を掛けてまで生きられない・・・

 

などのように思ったり、感じたりする必要性は全くなく、逆に、ご家族などにおかれましては、

 

迷惑だから・・・早めに・・・

 

などのような、「安楽死」というものが、

 

「生きる価値のある人」と・・・

「生きる価値の無い人」などのような・・・

 

「命の選別」に繋がってしまうような事は・・・

絶対に避けなければならない

 

ものであります。
これが、「死」を考える事は「生(生きる)」を考える事に繋がるという、本当の意味でもありますので。