こんにちは!
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、いきなりですが、前回のTOPICSの最後の方で、

 

『 魂の視点においては、「引退会見」を開催する事は不可能でもありますので(笑) 』

 

と私はコメント致しましたが、これは、

 

魂(心や意識や精神)は・・・

消滅しない・・・

 

という視点を表現したものでもありますが、もっと極論風に表現すると、

 

消滅したくとも・・・

消滅出来ない(不可能)・・・

 

という事を意味しております。
そこで、このような視点を「今、現在の私達」に当てはめて活用しようと試みますと、今回のテーマにおきましては、最初に結論と致しまして、

 

魂の視点においては・・・

「余生」というものは・・・

存在していない(存在し得ない)・・・

 

という事になります(笑)
このように、魂の視点と銘打っておりますが、今回は、従来とは少し趣向を変えて進めて参りますので、興味のある方は付いて来てみて下さい!

 

ところで、「余生」という言葉を聞くと、もしかしたら「余命」という言葉を連想やイメージする方もいらっしゃるかもしれませんが、「余命」は今回のTOPICSにおいては「直接的」に取り上げる事は致しません。
そして、もしかしたら、とても多くの方が、

 

「余生」という言葉の響きに・・・

「余暇」という連想やイメージを・・・

当てはめてはいませんか・・・???

 

という問い掛けにもなっております(笑)
つまり、少しフランクな表現を用いますと、

 

「暇」を持て余すという事と・・・

「人生(という生命活動)」を持て余すという事を・・・

取り違えて(混同して)はいないだろうか・・・???

 

とも言えるかもしれません(笑)
では、特に、ここ十数年においては、(少子)高齢化社会と言われるように、団塊の世代の方々が会社を定年退職したり、あるいは、良い意味での古風な表現では隠居などのように、人生における変化を体感されている方々も多くなってきております。

 

このような傾向に擬(なぞら)えて?かは分かりませんが、このTOPICSでも取り上げてきました、「断捨離」や「終活」や「生前葬」や「墓終(じま)い」という言葉も、よく耳にする機会も増えて来たのは皆さんもご存じの通りかと思います。
それこそ、一昔前においてであれば、このような「言葉」や「考え」を持つという事は、「不吉」や「不謹慎」と言われていた風潮もありました(笑)

ただ、これこそ「笑い話」では済まされないような、高齢者の方の「自殺」が増加した時期とも「重なり」ますし、「今、現在」においても人生を模索されている方々も数多くいらっしゃるかと思います。

 

そして、このような人生模様を描いた小説やドラマや映画なども数多く存在しておりますが、私も先日、舘ひろし さん主演の「終わった人」という映画を観ておりました。

これは、定年退職を迎えた主人公が、家族などから、これから先は、好きに自由にしていいよ!と言われはするものの、何をしていいのか分からず、戸惑いや困惑、右往左往している中で、恋や再就職や卒婚などの人生の変化をコメディー風に描いている内容でもあります。

 

では、ここからは「一見」すると、話題が転換?しているように感じてくるかもしれませんが、先に続けて参ります!
舘ひろし さんと言えば、柴田恭兵 さんとの、タカ&ユージのコンビで演じられた「あぶない刑事」は、私も好きでよく観ておりましたし、今でも何度も繰り返し観ております。

当時も色々な影響を受けましたし、今でも影響を受けている面は多々あります。
良い意味?悪い意味?も含めてですが(笑)

 

ところで、もしかしたら、皆さんもTVや雑誌などで見聞きした事があるかもしれませんが、映画やドラマの俳優さん方が、近頃では次のような事をよくお話しています。

例えば、演じる場面において、

 

銀行強盗をして・・・

車で逃走する場面においては・・・

シートベルトを着用するように・・

 

との演技指導が入ってくる、というものです。

 

勿論、先ほどの「あぶない刑事」などにおいても、私が、良い意味?でも、悪い意味?でも影響を受け、今でもその影響を受けているという側面においては、ルールやマナーの逸脱を防ぐという意味では大切な事であるという理屈も理解は出来ます。

ただ、映画や小説などの創作活動の一場面やワンシーンにおいて、その場から即座に逃走しようとしている犯人がシートベルトをするなどのように、

 

あり得ない!?と感じる場面を(わざわざ)描くという事は・・・

もしかしたら・・・

極度な「過保護」を育て上げる事にも繋がり(かねず)・・・

判断などの「考える力」を弱体化させ・・・

「思考そのもの」を放棄させるような所にまで行き着いてしまうと・・・

「本末転倒」という逆転現象に繋がってしまう・・・

 

という危惧に陥ってしまう可能性も高くなるかもしれません。
では、ここ迄において、「余生」と「本末転倒」に何の繋がりがあるの?と感じられているかと思いますが、今回は「魂の視点」を活用した上でのテーマですので、更に先に続けて参ります!

 

ところで、先日、ヒプノ講座の卒業生の方とお店で飲食をしていました。
そして、そのお店でオーダーや給仕をしてくれていた方は、年配の女性の人でした。
すると後日、その卒業生の方が教えてくれたのが、その年配の女性の人は、卒業生の方の勤務先と関係のある所でも働いており、その卒業生の方は「年配の方のダブルワークに出逢うと、私も頑張ろう!って思える」とお話されておりました(笑)
確かに、

 

自らの「生き甲斐」という表現が・・・

ダブルワークに限らず、何にしても・・・

「行動」に繋がっているというのは・・・

とても素敵で素晴らしい事!

 

であるのも真実です(笑)
では、またまた、ところでですが、近頃では人生100年時代や、幾つになっても輝ける時代などのキャッチコピーやフレーズを多くの場面で見かけることが増えております。

勿論、これも心の底から「生き甲斐」として感じているという事であれば、繰り返しですが、それはとても素敵な事ではあるのですが、

 

四の五の言う「暇」もなく・・・

ダブルワークにせよ、何にせよ・・・

「働かなければならない(生きていけない)」と感じた上での「行動」に繋がっているとすれば・・・

それは・・・

この国の(政策や制度の)・・・

「冷笑」の現れではないのだろうか・・・

 

という捉え方が、正直に申しまして、多くの方々に当てはまっているのが現状である事と感じます(苦笑)
どうでしょうか、、、「余生」と「本末転倒」の繋がりが、、、そろそろ垣間見えて来ている頃合いでしょうか?(笑)

そして、これもTOPICSで繰り返しお伝えしております通り、

 

「過去」というのは・・・

それを「今」想い出し、味わっている(感じている)ものであり・・・

「未来」というのは・・・

どこまで行っても「今」でしかない(感じられない)・・・

 

ものであります。
では、ここで、ある意味では意地悪?な問い掛けをしてみます(笑)
ここ迄で見てきたように、

 

人生において・・・

「本末転倒」のような・・・

「本(過去)」と「末(未来)」という捉え方をしてみた時に・・・

本当に「余生」と呼べる「生」は・・・

存在しているのでしょうか・・・

 

という問い掛けです。
なお、ここで正直に告白致しますが、今回のここ迄における「本末転倒」の活用法は「誤用(に近い)」ものであります(笑)

「本末転倒」の本来の意味は「物事の根本的に大切な事と、そうではない瑣末(さまつ)な事を取り違える事」であり、似たように感じる表現としての「主客転倒」は「物事の大小・軽重などを取り違える事」となっておりますが、国語の授業ではありませんし、今回は感覚として捉えて頂ければ、それで充分ですので!

 

そして、もうお分かりかもしれませんが、「余生」をどのように捉えようと、そこに正解や答えもありませんし、どのように解釈するのも全くの自由です!
そして、ここ迄において、ある意味での「一般的」あるいは「普通」に、文字通りとしての、

 

「余生」と捉えたとしても・・・

「今が大切」であり・・・

「大切なのは今」であり・・・

 

と私がお伝えしようと感じている方もいらっしゃるかもしれませんが、実は、、、今回のテーマの本当の趣旨はそうではありません(笑)
それは、

 

「今が大切」であり、「大切なのは今」であるのはその通りですが・・・

現在の「冷笑」の現れとしては・・・

「今だけ(自分だけ)」良ければ・・・

それで構わない!

 

というのが、最大の原因でもあり理由となっています。
そして、このような捉え方というのは、

 

「重なり」を見失ってしまったが故の・・・

「二者択一」に陥ってしまった結果・・・

 

というのが、残念ながら現在の世の中や社会の「真の姿」となってしまっています。
これが、よく言われ、現れてしまっている、

 

「格差」の正体

 

でもあります。
また、

 

多様性(を尊重する)と「口(という言葉)」では言いながらも・・・

グラデーション(濃淡)を認めない・・・

そのようにさせているのが・・・

「冷笑」でもあり・・・

 

これが・・・

「真の動機」という「思い」における・・・

「詭弁や嘘」となって・・・現れている

 

というのが、前回、前々回のTOPICSでもお伝えしてきた事でもあります。

そして、これこそ、今までのように、「一般的」で「普通」に「余生」を穏やかに過ごすなどのようなイメージや連想をされてきたものが、「働かざる者食うべからず」の言葉のような「冷笑」という風潮を、先ほどの、人生100年時代や、幾つになっても輝ける時代などの言葉に、

 

すり替えている

 

という「カラクリ」が仕組まれている事に、早く「気づく」必要性があるかと感じています。

勿論、「生き甲斐」などを感じて、幾つになっても働きたい!というのも素敵な事ですし、私はそれを否定や非難をしようと思っている訳では全くありません!
あの世に戻る直前までパワフルに働いていても全く良いのです!、、、ただし、「生き甲斐」などの「思い」が「本心」であればですが(笑)

また、「働かざる者食うべからず」とは、「怠惰」を戒める教訓であって、様々なご事情やお体の不調などで働きたくても働けないなどの方々を指している言葉では決してございませんので、誤解の無きようお願い申し上げます!

 

そして、これも正直に告白致しますが、今回のここ迄の内容も、実は、、、あるテーマとの「繋がり」を目的としてお伝えして来ておりますが、それは、最後にコメント致しますので(笑)

故に、今回はここ迄において、何か、モヤッ~とするような感じの、分かり辛さを「敢えて」活用して、少し頭を揉みほぐす?ような感じも込めておりますので、そのように、何を伝えたいのだろう?と思った方々も、充分にそれで付いて来て頂けている証ですので、どうぞご安心下さい!

 

では、今回は魂の視点としても銘打っておりますので、締め括りとして、「余生」に関して、私からの一つの魂の視点を少しだけご提案して参ります!

それは、ここでも「敢えて」、「余生」というものを「一般的」に「普通」に捉えた場合に、

 

「余生」というものを・・・

「来世」への・・・

準備や下調べの期間として活用する!

 

というものです(笑)
おそらく、ほとんどの人が、他にやりたい事があった、、、別の人生も歩んでみたかった、、、可能であるならば憧れの職業や仕事に就きたかった、、、などの、様々な「思い」がある事と感じます。
中には、ご夫婦であれば、「選択と決断」を誤ったかな?などの「思い」を抱かれる方もいらっしゃかるかもしれません(笑)

そして、このような準備や下調べというのは、最初の、

 

魂(心や意識や精神)は・・・消滅しない・・・という魂の視点からは・・・

必ずや「来世」における・・・

血や肉となる(実となる)!

 

とも表現出来ます。
なお、だからと言って、「余生」において準備や下調べをした事柄を、「来世」で必ず「行動」しなければならない!というものでは決してありません。
それこそ、「選択と決断」という自由は、誰しもが自らで所有しているものだからです(笑)

そして、このような視点を更に発展させると、

 

仮に「余生」というものが存在しているのならば・・・

それは・・・

オギャ~!と産まれた直後から・・・

既に「余生」は始まっている!

 

とも言える事になります(笑)

そして、中盤において、「「笑い話」では済まされないような、高齢者の方の「自殺」が増加した」とのコメントも致しましたが、若い人の「自殺」も増加の一途を辿っているのも悲しい現状でもあります。

そして、このような「自殺」と、そして、近頃ではこの世の中や社会において、大きな変革?うねり?を上げてきているのが、

 

安楽死と尊厳死

 

です。
本当は今回のTOPICSでも触れようと思っていたのですが、やはり、この「自殺」や「安楽死と尊厳死」というテーマは、今回のように「笑い話」を含めたスタンスや姿勢で取り上げるのは、それこそ、不謹慎や不遜であるとの私なりの判断から、次回、ある一つの番組をご紹介の上、「考える素材」としての提供も含め、このテーマを進めて参りたいと思っております。

なので、次回のTOPICSでは「(笑)」は登場する事は、、、おそらく、ありませんので(笑)