魂の視点から考える「安楽死と尊厳死」 ~「自殺」との関係性も含め~ 

『 自分はいずれ寝たきりになって、今度はおしめを替えてくれても、「ありがとう」も「ごめんね」も、ろくに言えなくなる。

  人にして貰って、「ありがとう」が言えなくなる人の気持ちを考えてみた事があるのか、、、。 』

 

そして、この会話をした当日の夕方、ミナさんは「自殺」を試みましたが、この時は未遂で終わり、その後も幾度か「自殺」を試みたそうです。

そして、この辺りから、ミナさんは「安楽死」を考え始めていって、先ほどの、スイスの民間の安楽死団体「ライフサークル」に登録をする際に、次のようにメールで言葉を添えていました。

 

『 私が私である内に、安楽死を施して下さい。 』

 

と。
では、ここで、「安楽死」を実行する前後における、ミナさんのお姉さんが語ってくれた言葉を少しご紹介して参ります。

 

『 私達は、間違った事をしてるんじゃないんだよね、、、

  本当に、これでいいんだよねって、、、

  本当に「安楽死」を受け入れていいのか、どうなのかと、苦悩がありました。 』

 

『 (ミナさんが)毎日のように「自殺」を考えて、苦しんでいた時の事を考えると、逆に、私達が取り乱す事も良くないだろうなって。

  本人を悲しませる事になるし。

  勿論、日本では(「安楽死」は)認められていませんから、誰にも伝える事も出来なかったし、誰にも相談する事も出来なかったし、、、。 』

 

では、ここからは、生前にミナさんがインタビューで胸の内(心情の吐露)を語ってくれた「肉声」の一部をご紹介させて頂きます。

 

『 私が寝たきりで、天井をずっと見つめてても、苦しがっている様子を見ても、生きてて欲しいって言いますか? 』

 

『 (病気の進行により)確実に私が私らしく無くなるんですよ。

  それが怖かった

  天井を見ながら毎日を過ごし、時々食事を与えられ、時々おむつを替えて貰い、果たして、そういう風な日々を毎日過ごしていて、それでも生の喜びを感じているのか、生きていたいと思っているのか、自問自答するわけです。 』

 

『 自分で死を選ぶ事が出来るということは、どうやって生きるかということを選択する事と、同じくらい大事なことだと思うんです。

  私の願いでもあるんですよ。

  「安楽死」を、みんな(日本)で考える事は、、、 』

 

それでは、ここで、「安楽死」に反対していた妹さんからのメールに対する、ミナさんのコメントをご紹介致します。