自殺(自死)と憑依(心の内面)の関係を魂の視点で考えてみます

繰り返しますが、喜怒哀楽などの「感情」は自然で当たり前のものであり、これを否定や拒否をする事はしてはいけません
では、何か悲しい出来事があったと仮定します。

 

① 悲しみを感じ・・・

② その悲しみを引き起こしたのは自分の責任だと自己憐憫に陥っていき・・・

③ そのような哀れな姿の自分にしたのは世の中や社会の責任だ!との怒りに支配され・・・

 

とのように、①においては自然で当たり前の感情が、②の段階で次第に自分を責めるようになり、③の段階では既に自らの感情のコントロールが、自らの手から離れてしまう、、、これが憑依です
つまり、このケースにおいては、

 

①から②の段階では自然な範囲のものであるのが・・・

②と③の段階のどこかに「隙間(隙魔)」が生まれ・・・

③の状態に自分では気づかずに移行してしまう・・・

 

という流れです。
そして、

 

このような流れに無自覚に進んでしまわない為に・・・

それを防いでくれる視点というのが・・・

誰かや何かの責任(せい)にしない!

 

という本当の意味です。
なお、これも誤解の無きようにお伝え致しますが、ここでの何か悲しい出来事というのは、今回の事件のような被害者の方々などの心情を指している訳では全くありません!
それが、当然の事ながら、このような事件においては、被害者の方々などに非がある訳ではないからです、、、
そして、

 

このような憑依を防いでくれる一連のプロセスにおいては・・・

無自覚であろうが自覚を持ってであろうが・・・

必ず、自分の心の内面と向き合うという作業が行われている!

 

という事です。
そして、これもとても誤解の多い所ですのでお伝え致しますが、

 

自分の心の内面と向き合うというのは・・・

自分の「主観」に入り込む事ではなく・・・

自分を「客観視」してみる事・・・

 

です。
その結果として、何かの出来事においては、自分には非がない!と思える事にも気づいていく事が出来るようになります。
そして、何故、このような視点が必要になるのかと言いますと、今現在の全世界を見渡してみても、特に最近の日本の世の中や社会においては、

 

三歩進んで二歩下がる・・・という成長ではなく・・・

二歩進んで三歩下がる・・・という劣化に進んでいる・・・

 

からです。
例えば、先ほどの誰かや何かの責任(せい)にしない!という視点一つを取ってみても、先頃発覚した医学部の不正入試などや、身近な人間関係や職場環境でも数多(あまた)見られるように、自分に非がないにも関わらず、誰かや何かの責任(せい)にしない!という心の姿勢を保つのが(かなり)難しくなっているという傾向が高くなっており、それを引き起こしている大きな原因や理由として、

 

社会そのもの(仕組み)が・・・

憑依の種子へ水や肥料をやっている・・・

 

というのがとても顕著に見て取れます。
これを現しているのが、