自殺(自死)と憑依(心の内面)の関係を魂の視点で考えてみます

「自殺(自死)をするのに他の人を巻き込んではいけない!

という見解がある一方で、

自殺(自死)をするのなら一人でやるべき、、、という意見だけが一人歩きすると・・・

同じような悩みや苦悩を抱えている人を追い込む事になり・・・

逆に、今回のような事件を再度引き起こしかねない・・・(という見解もある)」

 

という部分において、私はどちらもある意味においては「正論」と感じる部分もあるとお伝え致しましたが、ただ、

 

この両者を繋げてくれる視点が・・・

欠落している・・・

 

とも感じております。
それは、

 

他人を巻き込んで自殺(自死)をしようとも・・・

ただ一人で自殺(自死)をしようとも・・・

どちらも・・・

自らの救いの道を見つけられなくなっているから・・・

 

という点は共通している所です。
そして、更に欠落している視点の内の一つとしては、

 

ただ一人で自殺(自死)をしたとしても・・・

必ず他の誰かや何かに影響を与えている・・・

 

という点です。
勿論、共通しているからといって、誰かを傷付けるという巻き込み方と、影響を与えているという巻き込み方においては、大きな違いが生じているのも事実です。
そして、最も欠落している視点の一つが、どちらの意見においても、二度と同じ事を繰り返させてはならない!という点は共通しているように感じますが、

 

なぜ・・・それが論争という争いになるのか・・・?

なぜ・・・同じ方向を向いているのであれば・・・共に「考える」というスタンスにならないのか・・・?

 

そして、このような争いの姿を社会が見せる事こそ・・・

もしかしたら・・・被害者のご遺族などにおいても、辛く感じる部分もあるかもしれないし・・・

 

今、何かしらの苦悩の最中で自暴自棄になりそうな怖れを抱えている人が・・・

このような争いの社会の姿を見て、どのように感じるのか・・・?

 

という部分です。
このように論争という現象を生みだしているのも「隙間(隙魔)」の現れであり、私達の心の内面は社会に反映され、反映された社会の状況が更に心の内面に影響を及ぼしてくるという循環になって、これが、現在の不健全な「格差」を生みだしている一つの要因でもあります。

 

ちなみに、これも否定や非難などでは全く無いという点をご理解頂いた上での事ですが、このようなニュアンスは、何か、薬物に手を出してしまった後は病気であるのでと見守られるが、その薬物に手を出してしまいそうになる迄の間の状況や状態に対しては、あまり目を向けられていない現状において、勿論、人を傷つけてしまう事と、自らに薬物を取り込むのでは、その両者には大きな違いが存在するのもその通りではありますが、何か、この両者に向けられる社会の目のベクトル(方向)が、上手く伝えづらいのですが、自己矛盾?のような重なりが見えるように感じる面も、個人的には思うような部分もあります。

このどちらもが、二度と同じ事を繰り返させてはならない!との方向性は一致しているはずなのですが、、、

話しが少し逸れましたので戻しますが、このような様々な見解がある事も含め、