自殺(自死)と憑依(心の内面)の関係を魂の視点で考えてみます

100階建ての超高層ビルから身投げをすると、ほぼほぼ100%の確率で自殺(自死)を遂げる事は可能です。
また、これは、この高層ビルのように多くの人が往来する場所ではなく、山中の深くにおける断崖絶壁などでも、ほぼ当てはまる事と思います。
しかし、他意も悪意もありませんが、自殺の名所?と呼ばれているような、富士の樹海や東尋坊などでは、

 

絶対的に100%自殺(自死)が出来るという可能性は・・・・低い・・・

 

という矛盾した現象や傾向が見て取れる側面があります。
にも関わらず、そのような自殺の名所?に赴く人もいれば、そのように呼ばれている場所に引き付けられてしまうという現象や傾向の高さが見受けられます。
そして、このような現象や傾向における魂の視点においては、

 

魂とは殺す事も出来なければ消滅させる事も出来ない・・・が故に・・・

そのような場で実際に自殺(自死)を実行した人(魂)においては・・・

 

自らが未だに自殺(自死)を遂げていない(と思い込んでいる)・・・が故に・・・

(似たような心境の他の人に)憑依をして何度も同じ事を繰り返している・・・

 

という点が当てはまります。
つまり、当人においては自らが既に、いわゆる死後という状態にあるのに「気づけていない」という事です。
そして、

 

心の内面が苦悩などで一杯一杯となっている状態の人が・・・

そのような心境で自殺の名所?などのような地に赴いてしまうと・・・

憑依を受けやすくなってしまう・・・

 

という現象と傾向です。
なお、東尋坊などは景勝としての素敵な観光地でもありますし、私も何度も訪れた事がある場所ですので、そのような苦悩に満ちた心境でなければ、(強固な)憑依などは決して起こりませんし、怖れる必要性も全くございません
そして、

 

このような自殺の名所?と呼ばれるような地においては・・・

憑依が更なる憑依を生み続けている・・・

 

という循環にもなってしまっています。
つまり、自殺(自死)を試みるかどうかの迷いにある最中に、そこに他の魂からの憑依の影響で自殺(自死)を実行してしまったが、その本人の魂においては死に気づいていないが故に、未だに生きていると思い込んでおり、同じような心境の人に自らが憑依して自殺(自死)を遂げようとする、、、それに気づくまでは、、、延々と繰り返されている、、、という現象です。

 

なお、これも誤解の無きようにお伝え致しますが、自殺(自死)をした魂の全てがこのような状態になるのではなく、その割合とは低いものでもあり、また、そのような魂のご本人は悪気なども一切なく、ただ、「気づけていない」が故に繰り返しているという状況であり、、、それに「気づかせて」あげるのが、、、本当のご供養の本質となります。

 

また、今回のテーマとは直接の関わりは少ないですが、ご家族や愛する人を殺されたりする事件などにおいては、ご遺族などが断罪を求める!などの心情も私も理解出来る面もありますが、このような魂の視点においては、死刑を実行したからといって、その加害者が無になってしまう訳でもなく、逆に、(死刑後に)自らの行為を更に正当化し、自分に死刑を科した世の中や社会への恨み辛みや悪意や未練や執着を糧として増幅させ、憑依(という事件)が更なる憑依(という事件)へと連なってしまう危険性もあるという視点が成り立ちます。