帰属意識の活用法 ~性暴力等からの回復や魂の視点も含め~:フェミニズム運動という契機

助言:
『 語るように励まし続けてください。
  語る姿を見るに忍びなくても、です。
  信じるまでにはずいぶん時間がかかります。

  私がそれについて語れば語るほど、それが間違いなく起こったと思えるようになり、それを統合できるようになる。
  絶えず “ 大丈夫だよ ” といってもらうことは非常に大切である。
  独りぼっちのどうしようもなく か弱かった少女だったという感じから 遠ざけてもらうことなら 何でも大切である。 』

 

そして、被害者は加害者に復讐したいとの思いを強く抱く復讐幻想においても、被害者同士で語り合う事が有効と述べております。

そして、TOPICSでは《 自己憐憫・共依存・責任転嫁 》に陥らない事が大切で必要とお伝えしておりますが、この3つと《 語り合う事とは全く違う 》という点を知っておく(誤解や曲解をしない)事がとても大切で必要となります!

そして、ハーマン氏は目指す方向(世界)に向け、著作において次のように締め括っております。

 

著作:
『 自分以外の人々とともに共世界commonalityを作ると、それにともなって「common」ということばの持つすべての意味がわかるようになる。
  commonということばは一つの社会に帰属するということ、一つの公的役割を持つということ、普遍的なものの一部であるということを意味している。

  (中略)

  このことばはまた、些細なことであった、取るに足らないことであった、自分の悩み苦しみは「大海中の一雨滴」であったという感じをも伴っている。
  他の人々との共世界をつくりえた生存者は生みの苦しみを終えて憩うことができる。
  ここにその人の回復は完成し、その人の前に横たわるものはすべて、ただその人の生活のみとなる。 』

 

そして、ここ迄における上間 氏の総括とも呼べるコメントが以下のものになります。

上間 氏:
『 確かに私達は自分の体験を語る事で、私もそれは知っているという事に繋がっていきますよね、でも、暴力、そして性暴力というのは繋がりを断たれるという事なんですね。
  起きて良いはずでは無い事が起きてしまっている、だから口に出来ない、一緒にいてもこの体験を話して良いのか分からない

 

  特にですね、性虐待を受けた子(ども)達というのは、社会の中にこんな体験をしている人がいると思っていないという所からスタートするんですね、あるいは、お家の中で皆、同じ事が起きていたという風に思っている、そういう風に言います。
  それは、子どもというのは言葉を獲得していって、社会に対しても信頼を創っていく段階なので、その時に起きてしまって、言葉自体を奪われていくという体験なんです。
  だから奪われた言葉を取り戻していくという。

  (中略)

 

女性達の体験の中には、そういう事があると思います。
  口にするのもチョットと思ってるような、そういった体験というのを、この人には話せるんじゃないかなぁと思って話していくという事がありますよね。

  (中略)

 

聴き手というのが、それがある(例えば父と娘が性的関係を持つのは当たり前と思っていた、なぜなら誰かに話せないし、話した事もないが故に、他の家でも起こっているのかどうかすら分からないなど)という事を想定しないと、やはりこの体験は出て来ない(話して貰えない)んです。
  チョットその話をしたいなと思っているのは、(著作では)治癒的関係とは何か?という事が書かれているんです。

  その方の助けになりたいと思った時に、まるで子どものように扱う、あなたの状態はとてもキツくて、そしてあなたが今、話す事も出来ない、怯えている、体が固まっている、そういう風なものを目にした時に、小さな子どものように扱って、私(聴き手や治療者側)が全て決定するみたいな事って起きがちですよね。
  ハーマンはダメだ!って言ってるんです。

 

その人に決定させる、その人を主体にするという事が書かれていて、どうしたいか?(例えば一つには)このような事は出来ます、(その一方で)このような事が出来ます、どうしますか?という形、そこから主体性を取り戻していくという事ですよね。
  そういう事をやらないとダメなんです。
  治療者が治せるという話ではない

  (中略)

 

  (被害者に自主性や主体性を持たせるのが難しい時には)その人の側に立ちなさいという風に(ハーマンは)言ってるんです。
  (私は)あなたの味方なんだと、そして、このスキルを回復の為に使うという風にしなさいと書かれています。
  そして本当は側にいる人達にとっても、(このようなスキルなどは)しっかり分かっていないといけない事ばかりだなぁと思います。 』