帰属意識の活用法 ~性暴力等からの回復や魂の視点も含め~:フェミニズム運動という契機

上間 氏:
『 これが(このような問題が)どうして表舞台に出て来たかと言うと、1970年代、女性達が自分の体験を語り出しましたね、その時に名前の無い問題、名付けようの無い苦しさ、そのような体験が言葉によって語られて、それが分かち伝えられていくという事がありました。

  私はレイプされましたと言ったら、そこにいる女性達は本当ですか?ではなくて、それはあった!という風に信じたんです。
  その信じられる中で私の体験という風な事が言葉を持ち始めました。

  今までは、それはあなたが誘ったのではないか?とかですね、それは取るに足らない事ではないか?っていう風な形で解釈されてたものが、違う!ずっとその時間を生きるように、そういう体験なんだ!という風な事が語られて、それを信じる女性達という風なものに支えられました。

  (中略)

 

(複雑性PTSDにおける)この複雑性という風な言い方をする時には、解離的な体験と言うんですか、殺されてしまうんじゃないかという風な体験が、人によっては何度も何度も繰り返される訳ですね。
  その時に自分自身で体験するというのはあまりにも辛くて、そして、これを切り離すという風な事をするんです。

  この切り離していくという事によって生き延びる事は出来るんですが、今度は切り離した方がやってる事は分からなくなってしまう。
  上手く日常生活を送る事が出来なくなるとか。
  そういう風な事になっていくという事ですね。

  (中略)

 

例えばですけど、レイプされた方々の語りっていうのは、ハッキリしない事も沢山あるんですね。
  その時に起きた臭いであったりとか、体にあった圧力であったりとか、とても断片的な形で語られる事が多いんです。
  とてもそういうのが特徴的なのは、いつ(性暴力等が)始まったのかが分からないという語りが出て来るんですね。

  例えば、生理は無かった、生理はまだ始まっていなかった時だったとかですね。
  断片的にランドセルは無かったとか、そういう形で語られていく記憶というのは、本当の事なのかどうなのかというのが一見分かりづらいという風に言えます。
  証明のしようが無い、でも、そういう体験になってしまう事なんですよね。

  そういう体験を取り戻しながら語られる、しどろもどろの時間も含めて(その体験は)あったんだ!という風にして聴く人がいないと、その方は自分の体験が確かにあったという事を手にするのがとても難しいんです。

  (中略)

 

(性暴力等は逆に一番身近な家族などに話せない、否定されそうで話し辛い事について)そうなんです。
  家族の中で起きる事なので、それ(加害者)が母にとってみれば自分のパートナーであり、あるいは自分の生んだ別の子どもであったりという体験ですよね。
  だから助けて欲しいと思って語った人(打ち明けた相手)が最も強く否定するという風な体験があったりするんですよね。

  誰も信じてくれない、(被害者は)孤立無援の状態からスタートするんです。
  それがスポットが当てられて、そのような状態に陥るものなんだっていう事が分かって来たという事が大事だと思います。 』

 

そして、ハーマン氏が考える回復(快復)について最も大切なのが、

 

本人が生きる力を取り戻し《 人との新しい結び付きを創る 》こと

 

と述べており、そして、

 

《 本人が主体となって 》回復すること

 

と延べ、その為には、

 

医学的ケア、食事、睡眠などの《 安全が確保された後 》に

 

起こった体験を語って貰う事が必要と主張しております。
そして、何が起こったかを話す事だけではなく、

 

《 何を感じたか 》を話す

 

という事が必要と述べております。
それについて、近親姦生存者の方の助言として、次の事が紹介されておりました。