迷信に魂の視点で斬り込んでみる!?(笑):後半 ~自己及び他者の観念を知り気づく~

次の茶碗の迷信ですが、これは昔から日本ではお仏壇でお供えやご供養をする事から、前回の前半に出て参りました「死装束」とも「繋がって」「重なって」きますが、このようなお供えやご供養の「光景」というのは、特に日本では小さい頃から無意識ながらも、よく見聞きしている(覚えている)ものです。
そして、他界したからと言って、私達は全知全能のような存在になれる訳では全くありません。
他界したからと言って(すぐに)個性は変わらないからです(笑)

そうすると、他界した方におかれましては、箸が立ててある茶碗は自分の食事!!!と思ったとしても、ごくごく普通の感情であり自然な反応になる事でしょう。
私達においても、自分の目の前に並べられた茶碗や味噌汁などは自分専用!!!と思うのが普通で自然な事です(笑)
焼き肉では別の争い!?が発生するかもしれませんが(笑)

 

つまり、ここでは「招かれている」という風に魂(霊)は感じ取る訳です。
なので、茶碗に箸を立てた事で悪い事が起こる訳でもなく、魂(霊)を引き寄せている訳でもない事はお分かりになるかと思いますが、言わば、他の人(他界した人)の食事を横取りしてる!?と誤解されるような「振る舞い」に注意をし、この世であろうとあの世であろうと他の人の事を「慮(おもんぱか)る」事の大切さに気づく為の「作法」とも言えます。
これは小さい頃によく言われるように「自分がされて嫌な事は、他の人にもしてはいけないよ」と「本質」は同じかもしれません、、、

 

そして、最後の夜の洗濯ですが、これは夜に洗濯をしても構いません!
現代はライフスタイルも多種多様ですし、特にお仕事の勤務時間の関係等で夜にしか洗濯出来ないという方々も数多くいらっしゃいます。
そして、この夜の洗濯は次に取り上げる迷信と「繋がって」「重なって」きますが、魂の視点からは(浮遊)霊(敢えてここでは魂は含めません)は湿気を好むという事ぐらいだけ、頭の片隅にでも置いておけば何かの役に立つかもしれませんが!?(笑)

ただ、アパートやマンションなどの共同住宅においては、夜の洗濯の際の「周りへの配慮」というのは、特にこの世では大切で必要な視点となります!

 

○ 《 夜にツメを切ると親の死に目に会えない 》

昔は今のように蛍光灯などの電気もなく、ツメ切りと言えども刃物を扱う事になりますので、暗い中では気をつけなさい!との生活の知恵とも言えるのが定説ですが、よく「手の綺麗な人は心も綺麗」と言われますが、「身だしなみ」に気を遣いましょうとの意味が含まれています。
ここには「一期一会」との言葉もあるように、ツメを伸ばしたままで昼間に出逢った人とのコミュニケーションにおいて、果たしてそれが最善ですか!?との問い掛けにもなっています。

 

そして、親の死に目が出てくるのは、「子を見れば親が分かる・この親にしてこの子あり・親が親なら子も子」などの言葉もあるように、また、前回の霊柩車の迷信にも出てきたように、「親への感謝」であったり、「親に恥をかかせない」などの「子ども目線」として気を付ける事が諭(さと)されております。

なお、これもネイルをする事などへの批判や非難では全くありませんので、誤解の無きようお願い申し上げますと共に、なぜなら、ネイルをするという「動機」においては綺麗に見せたい(綺麗なツメや手でありたい)などもあるからです(笑)
また、先ほどの手が綺麗とは、例えば自動車整備工などのお仕事をされている場合などでは、どうしても手やツメにオイルなどが染みこんでしまう事もあり、このような事は、言わば木々の「年輪」のように、懸命にお仕事をされてきた「証(あかし)」とも呼べるものですので、この点も誤解の無きようお願い申し上げます。
ただ、飲食業や人の体に直接触れるお仕事のような場合では、衛生面も然る事ながら、相手はどう思い感じるだろうか?などの「想像力」を活用する事も大切になります。