迷信に魂の視点で斬り込んでみる!?(笑):後半 ~自己及び他者の観念を知り気づく~

○ 《 彼岸花を摘むと死者が出る 》

あの世という世界における全ての光景や体験(現実)は「心象」から創り上げられます
そして、例えば、この世の私達がお花などを見て綺麗だなと感じ、その際に他界された人達の事を考えたりすると、その「思い」はすぐに届けられ「想い」に変わります
これは、先ほどの茶碗に立てた箸と同じです(笑)

つまり、この世の私達の「思い・言葉・行動」というのは、あの世の大切な人達に全てが届くようになっています。
勿論、これは四六時中「監視」されているなどでは全くありませんし、魂としての個人情報!?はちゃんと守られています(笑)

そして、彼岸花に限らず、お花などを摘む事が悪い訳でもありませんし、それをしたからといって何か悪い事が起こる訳でもありません。
つまり、

 

全ては「真の動機」次第・・・

 

という事です。
そして、

 

私達が存在しているこの世でも・・・

「部分的」には・・・

「心象」が光景や体験(現実)を創り上げているのは同じ・・・

 

です。
これが、このTOPICSでもお伝えしております、

 

物事や出来事は大なり小なりそれぞれを「反映」している

「部分」は「全体」を含み、「全体」は「部分」を反映している

 

という事と同じです、、、

 

○ 《 鏡が割れると縁起が悪い 》

古来からというのは、魔を払う為であったり、宗教等の儀式に用いられたりなどのように神聖なアイテムとして使われてきました。
そして、この鏡については、これまでのTOPICSにおいても「憑依」との関係についてコメントして来ております。
それは、

 

鏡で自分の顔を見なくなる(見たくない)時には・・・

「己(自分)の心」に注意を向ける必要がある・・・

 

と。
そして、

 

「憑依」している事を悟らせぬ(気づかれぬ)ようにするのが・・・

鏡を見なくさせる事でもある・・・

 

と。
魂の視点っぽく!?なってきましたかね!?(笑)
そして、仮に何の理由も原因も無く、突如として鏡が割れる(割れた)という時には、

 

普段から「己(自分)の心」に目を向ける事を怠って来たのであるから・・・

もはや・・・鏡など・・・不要であろう・・・

(そこで「あなた」はどうするのか(どう変えていくのか)・・・)

 

とのメッセージになっている事もあります。
そして、

 

「憑依」とは・・・

「憑依する側(の魂や霊)」が一方的に悪い訳ではなく・・・

「憑依される側(の私達)」にも原因や理由が必ずある!!!

 

という現象ですので、むやみやたらと怖がる必要性も全くありません(笑)
なぜなら、