火のない所に煙は立つ?立たない? ~潜在意識とマクマーティン児童施設裁判から~

このCIIで行われたセラピーというのは、子どもに話させやすくする為に、子どもにはワニの人形を持たせ、そのワニを通して子どもの気持ちを代弁させるという手法です。
そして、ここからの会話(セラピー)に出てくる「裸の映画スター」というのが性的虐待の比喩となっております。
では、そのやり取りを少し眺めてみましょう!

 

セラピスト:
『 あなた達がやっていた裸のゲーム、他の子達が話してくれたから知っているわ。
  「裸の映画スター」って言うのよね? 』

子ども:
『 う~ん、そのゲームは覚えてない。 』

セラピスト:
『 ワニさん? 』

子ども:
『 誰かが「裸の映画スター」って歌ってるのを聞いた事がある。 』

セラピスト:
『 覚えてるのね、ワニさんやっぱり頭が良いわね。
  あなたは皆がそのゲームをやっているのも見たんじゃないかしら。 』

子ども:
『 う~ん、ゲームをやってるのは見た事ないよ、歌を聞いただけ。 』

セラピスト:
『 小さな女の子だってゲームをやって見せてくれたよ?
  ワニさんも思い出してくれるかな? 』

 

このようなやり取りが2時間近く続けられていました。
そして、このやり取りに向け、弁護側の証人である精神科医が問題点を指摘していきます、、、

その指摘とは以下の3点です!

 

①  虐待の具体的な情報を先に子どもに与えている事

これは子どもが話し出す前にセラピストが『 「裸の映画スター」って言うのよね? 』と先に口にしている点です。
つまり、実際に性的虐待があったという前提でその後は答えてしまいやすくなる点です。

 

② 子どもが虐待を認めると褒めている

これはセラピストの『 やっぱり頭が良いわね。 』という言葉から、虐待について話す事が正解であると子どもは思い込んでしまうという点です。

 

③ 他の子どもを引き合いに出している事

これはセラピストの『 小さな女の子だって 』という言葉から、自分も同じように話さなければならないというプレッシャーを子どもに感じさせてしまうという点です。

 

そして、このような傾向のあるセラピーの内容であった事から、この精神科医が主張したのが、

 

《 自身(セラピスト)が求める発言を強制する誘導尋問 》

 

という指摘でした。
勿論、このような人形を使った手法そのものが悪い訳では決してありません。

と、ある意味では形勢逆転!?のような流れになりかけていきますが、やはり、子ども達の中には虐待は事実であると自らの体験について確信を持って話す人も残っておりました。
そして、当時の子ども達の証言を調査した心理学者のエリザベス・ロフタス氏は、ある現象に気づいたと以下のように話しております。