火のない所に煙は立つ?立たない? ~潜在意識とマクマーティン児童施設裁判から~

と、始まったのはいいのですが、子ども達からは事件当時の状況を聞いても分からないとの答えが頻発し、中には虐待をした人を複数の写真から選ばせたケースでは、その場所にいるはずのない俳優の写真の人が犯人であると答える子どもがいたりなどが相次いでいきました。

 

虐待は「事実」であるとの子ども達の証言がありつつも・・・

と同時に・・・

その「真実」の(物的)証拠が曖昧なままに・・・

 

そして、1986年1月17日、予備審問が終了し、嫌疑348件の内、247件が証拠不十分として棄却され、被告5人の身の潔白が証明されました。
が、しかし、この5人は裁判費用で経済的に破綻してしまい、新たな職場も見つからず、親族等も非難に晒され、元の場所に住み続ける事すら出来なくなってしまいました。

一方で子どもの親達においては、自分の子どもが嘘をついているとも考えられず、虐待があった事は事実であるとの子どもの言葉を信じる状態が続いていました。

そして、残るはレイモンドの嫌疑90件、彼の母の嫌疑11件となりました、、、

 

そして、この予備審問の終了時の世論調査ではレイモンドは有罪であると考えるとの回答が97.4%となり、報道されてきた内容が事実であり真実であると捉えている人々がかなりの大多数を占めていました。
そして、このような予備審問で明らかになったのが、物的証拠ではなく、今後は子ども達の証言のみで判断(評決)を下さざるを得ない必要性に迫られていき、、、そして、この辺りから、

 

「偽り(虚偽)の記憶」が焦点として浮かび上がってくる・・・

 

という方向に流れが進み始めていきます、、、

そのような中、裁判の開始まで残り8ケ月である1986年11月、ある事実が発覚しました。
その事実とは、最初に警察署に通報をした39才の母親の件でした。
その通報当時の彼女はアルコール依存症と統合失調症を患っており、精神面が極めて不安定であった事が判明しました。
しかし、検察はこの事実を3年間も隠蔽し続けていました。
しかも、その後に彼女は死亡しており、最初の通報の内容の真実すらも謎に隠されてしまいました。

 

このような状況の中、1987年7月13日、レイモンドと彼の母の二人の裁判が開始されていきます。
と、これも雑談としてですが、この裁判は陪審制というもので、選ばれた12人の陪審員の全員一致で評決(判決)が下されます。
そして、ここで評決されるのは「有罪」か「有罪ではない」かであり、意見がまとまらない場合は「評決不能」となり、その場合には「評決不能」がそのまま判決となるか、あるいは2度目の裁判へ移行となるかになっていきます。

と、裁判へ場面を戻しますが、ここで被害者とされる子ども達の多くの親から重要な事実が続々と明らかとなっていきます、、、

 

それは事件の翌日に警察が保護者に送っていた手紙についてのものですが、この手紙に書かれていた内容に基づいて親が子どもに虐待の有無を確かめた所、当初は子ども達の多くが虐待はされていないと言っていた事実でした。
そして、その後に多くの子ども達が虐待を受けたと言い始めたのが、先ほどのCIIの面接(セラピー)に連れて行かれてからの事であるという事実が判明していきました。
つまり、

 

(多くの)子ども達はCIIでセラピストからセラピーを受けた後に虐待を主張するようになっていった・・・

 

とのものです。
先ほど、『 セラピストも登場してきましたが、何か焦(きな)臭い!?と感じた方は、、、いい線まで行ってるかもしれません!? 』の箇所が、この辺りから「繋がって」そして「重なって」いきます(笑)

そして、弁護側はセラピーの様子を録画したテープを法廷で公開する事を要求していきました。
そして、そこに映し出されていたのが次のようなストーリーです、、、