チェルノブイリと福島の原発事故の教訓を活かす:中編 ~無知と不作為が招く負の連鎖~

第616回:『 チェルノブイリと福島の原発事故の教訓を活かす:中編 ~無知と不作為が招く負の連鎖~ 』

【 その他参照ワード:クレムリン、ソビエト科学アカデミー 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!

前回に引き続き、番組『 アナザーストーリーズ 』(NHK BS)から「 チェルノブイリ原発事故 隠された “真実” 」の続きを少し眺めますが、これも前回と同じく、

 

とても切実であり・・・

早急に気づくべき教訓を・・・

過去が示唆している・・・

 

との視点を意識して下さい、、、

 

 

では、まず最初に、前回の簡単なおさらいです!

 

【 前回のおさらい 】

今から40年前の1986年4月26日、チェルノブイリ(現:チョルノービリ)原発事故が起こりました。

そして、ヨーロッパ中にも大量の放射性物質を拡散させました。

故に、原発から半径30キロ以内は立ち入り禁止になり、周囲に存在した100以上の村が消滅しました。

 

そして、事故後の原子炉は「石の棺(ひつぎ)」と呼ばれる処理が施されたものの、未だに高い放射線量が持続しています。

しかも、事故の影響は、少なくとも300年は続くと推測されています。

 

更に、事故直後に原発に駆け付けた消防士達には何も知らされず、原発から僅か3キロしか離れていないプリピャチ市民にも、当初は事故は知らされませんでした。

そして、事故処理作業に当たった数万人が死亡したと言われます。

 

 

このような事態を招いた原因の一つに、チェルノブイリ原発の所長ヴィクトル・ブリュハーノフが、嘘の報告と事故の隠蔽を重ね続けた事も関係します。

また、ソビエトの指導部たる通称クレムリンも、自国民への情報公開に消極的でした。

しかも、最高指導者たる書記長のミハイル・ゴルバチョフにも、報告が上がりませんでした。

 

そして、人命よりも国の面子(メンツ)のみが優先され、目の前で繰り広げられていた光景は《 無知と混乱の全て 》でした。

このように混乱を極める中、事故の事実が書かれた極秘文書が、ゴルバチョフに渡される流れになりました、、、

 

 

では、ここ迄が前回のおさらいですが、ここから改めて今回の内容に入ります!

 

【 臭いものに蓋を出来ず 】

事故から3日目の28日、原発から約700キロ離れたモスクワのクレムリンでは、事故の発生に関し、

 

海外然り・・・

自国民にも隠蔽し続け・・・

未だに知らせていない・・・

 

という状況でした。

しかし、

 

約1100キロ離れたスウェーデンで・・・

事故の実態が明らかになる・・・

 

という流れになりました。

なぜなら、スウェーデンのフォルスマルク原発で、放射線(漏れ)を感知する警報器が鳴り出したからです。

 

 

しかし、即座に原発の調査に取り掛かったにも関わらず、異常は一切見つかりませんでした。

そこで、

 

気象データ等を改めて調査した所・・・

放射線の出処はヨーロッパの東側に位置する原発・・・

 

という事実が判明しました。

こうして、事故は世界中に知れ渡る事になりました。

更に、アメリカは軍事衛星を使い、既に事故の分析を始めていました。

 

そして、翌29日、政府は事故が起きた事実を、

 

初めて認める

 

という事態に追い込まれました。

しかし、この期に及んで、ソビエト国内の新聞では、

 

僅か数行の記事のみで・・・

しかも、紙面の片隅に小さく掲載しただけ・・・

 

という扱いでした。

更に、既に復旧措置が施されているなどの、

 

いわゆる大本営発表の如く・・・

政府の言い分のみを垂れ流すと同時に・・・

放射性物質の国内での拡散状況に関しても・・・

一切触れなかった・・・

 

という態度でした。

また、ソビエト国営テレビのニュースでも、同じ扱いでした。

 

 

しかし、政府を含め、メディアも巻き込んだ杜撰極まりない対応は、

 

ゴルバチョフの立場をも・・・

危ういものにしかねない・・・

 

という代物でした。

なぜなら、当時のソビエト共産党第27回大会の演説で、ゴルバチョフは次の事を国民に約束していたからです、、、

 

ゴルバチョフ:
『 グラスノスチ(情報公開)がなければ、民主主義もありません。 』

 

 

しかし、政府の一部の人間は、引き続き嘘と隠蔽工作に奔走しました。

更に、共産党の機関誌の科学面を担当し、長年に渡りサイエンスジャーナリストとして、ソビエトの科学の発展を見続けて来たウラジーミル・グバレフは、原発事故の取材許可を貰おうとした所、政府から拒否された上に、政府高官から脅迫めいた事を言われました。

ただ、遅きに失するで、先の通りこの頃には、世界中に事故が知れ渡っていました。

 

しかし、同じく先の通り、メディアの扱いが散々たるものだったが故に、モスクワ市民で事故が起きた事実を知っている人はごく少数で、しかも、関心も薄いものでした。

そして、この時の状況に関し、当時NHKモスクワ支局長の小林和男さんは話します、、、

 

小林さん:
『 (政府が)昆布の缶詰を売り出した。 普段は昆布を食べる習慣がないから、一番売れない(はずの食べ物)。 それが売れ出した。 何故か??? ヨード(ヨウ素)で放射能ヤバイらしいぞと(示唆する)。 市民レベルで言うと、正しい情報を知らされない事が、いかに不安を呼び起こし、そして、結局はゴルバチョフの信頼に関わっていく訳だよね。 』

 

 

【 蜘蛛の子を散らす関係者 】

事故から6日目の5月1日、原発から約100キロ離れたキエフ(現:ウクライナのキーウ)では、共産主義国家の祭典と言われるメーデーが行われていました。

しかし、例年とは違い、

 

共産党上層部の子ども達だけが・・・

メーデーに参加していなかった・・・

 

という状況でした。

つまり、既に事故の事実を知っている関係者は、

 

放射性物質の拡散による甚大な被害が・・・

家族を含む自分達に及ぶ事を恐れ・・・

キエフから秘密裡に逃げ出していた・・・

 

という事です。

 

 

しかし、キエフ市民も放射性物質の拡散に気づき始め、家畜も含め避難の際にパニックになりました。

そして、パニックを加速させたのが、イギリスやスウェーデンなどの、

 

他国から流れて来るラジオの情報

 

でした。

つまり、クレムリンと政府は自国民に対し、

 

往生際が悪いが如く・・・

未だに事故の影響を矮小化していた・・・

 

という事です。

 

そして、事故から11日後の6日、クレムリンは初めて記者会見に応じました。

しかし、

 

ヨーロッパ各地の報道は誇張された内容で・・・

臨界事故に繋がる危険性は・・・

既に除去されているなど・・・

更なる嘘と隠蔽を重ね続けた事に加え・・・

未だに放射性物質の拡散にも一切触れず・・・

記者の質問にも一切応じない・・・

 

という態度に徹し、口を噤みました。