哲学者カントからの挑戦状!? ~理性の暴走とアンチノミーの提唱など~  

では、まず手始めと致しまして、イマヌエル・カント(1724年~1804年)は哲学者としても有名であり、手前味噌で恐縮ですが、私の開催しておりますセミナー《 様々な視点を活用した コミュニケーション メソッド 》におきましても、次のような、カントの残した言葉の内の、ほんの一つだけを取り上げたりもしております。
その言葉が、

 

「あの世」がなければ、「この世」の正義は成り立たない

 

とのものです。
これも既に、カントからの挑戦状!?に含まれておりますので、、、(笑)
では、引き続きまして、この番組からの内容に入って参ります!
まず、カントからの挑戦状!?の「大きな源」として、

 

なぜ、人間は答えの出ない命題を創り、問い続けてしまうのか???

 

というのが存在しています。
何か分かるようでいて、深い所は見えづらい問い掛けのようにも思えるかもしれませんね(笑)
少し例えは違いますが、寝る時に、あれやこれやと頭に色々な事柄が浮かんできて、なかなか眠れない時の状態と近いかもしれません(笑)

 

そして、このような議論に終止符を打とうと試みてきたのが、カントという哲学者ですが、どのように試みてきたのか、その際のカントの「考え」を少しお伝えして参ります!
カントは、このように私達が問い続ける際には、

 

「理性」の暴走が起こっている

 

と説いておりました。
そして、ここでの「理性」とは、

 

「推論」する能力

 

とカントは捉えておりました。
では、このようなカントの「考え」ですが、カントは自身の言葉で、次のように語っております。
さあ、私が「難解!!!」と感じた一端も出て!?参りますので(笑)

 

カントの言葉:
『 人間の理性は、ある種の認識において、特別な運命の元にある。

  理性は拒む事の出来ない問いに悩まされているのである。

  拒めないのは、それが理性の本性そのものによって課された問いだからだ。

  それなのに、理性はこの問いに答える事が出来ない

  なぜなら、この問いは、人間理性のあらゆる能力を超えているからだ。 』

 

と。
どうでしょうか???
分かりましたでしょうか???(笑)

ところで、このTOPICSを継続してお読みになって頂いている方におかれましては、先のカントの言葉の中に、私が幾度もお伝えしております、「(過度な)感情ではなく理性(の活用)を」や、「なぜなら~」という説明出来る大切さなどを思い浮かべる事もあるかもしれませんが、「私自身」が「難解!!!」と感じているのも真実です(笑)

 

おそらく、「私自身」と「カント」がイメージしている双方の「言葉」のどこかに、ニュアンスのような「捉え方」や「活用の仕方」に違いがあるのかもしれません(笑)
そして、カントは一つの比喩として、