アドラーは心理学?スピリチュアル? ~ソーシャルディスタンス(社会的距離)と広場恐怖症も含め~

第3回目:『 対人関係を転換する 』から
1回目に出てきた女子高生が、自分は絵が好きだから本当は美大に進みたいが、親が普通の大学へ入り、普通に就職を望んでいるので、自分の夢を諦めた方がいいのか?との悩みから、安土羅先生の元に訪れてきました、、、

そして、アドラーは次のような事を言っています、、、

 

人間の悩みは全て対人関係の悩みである

 

と。
そして、「承認欲求」というテーマの基に、、、

安土羅先生:
『 それは承認欲求の為せる技だ。
  (親や誰かに)褒められたい、認められたいという欲求が、自分が良い子でいたいから、両親から認めて欲しいから、あなたは自分の夢を諦めようとしている。
  あなたに次の言葉を伝えておこう。

  「 人間は自分自身の人生を描く画家である 」

  それがどんな絵になろうと、全て自分自身で引き受けるしかないんだよ。 』

と。
すると、お決まり?の如く、この女子高生の母親が、娘が美大に進みたいと反抗(?)してきたと、娘に何を吹き込んだんだ?と安土羅先生に文句をつけにやって来ました(笑)

安土羅先生:
『 娘さんが自分で自分の道を選んだ事が、何か問題ですか?
  (母親に向けて)課題の分離が出来ていませんね、、、 』

と。
では、この「課題の分離」に関し、この番組内で放映されていた内容を先にご紹介致します!

 

「課題の分離」:
《 降っている雨を傘で防ぐ事は出来ても、雨が降る事を止める事は出来ない

  他者の感情も雨と同じで、いくら力で押さえ込もうとしても、それを変える事は出来ない。

  つまり、他人の課題に無理に踏み込まず、課題の分離をすべきである。 》

 

このような事は、私達の身の周りでもよく見かけますし、よく起こっています(笑)
他人の人生を背負い込む、子どもは親の所有物ではない、などの表現もあります。

例えば、あなたがお腹が空いていたとして、他の誰かに代わりに食べて貰っても、あなたの空腹は満たされませんよね!?
なおかつ、誰かの代わりに食べて上げたとしても、(それをしている)その人は常に満腹状態で、空腹という休まる時が無くなってしまいますし、そこに「双方の満足感」が生まれないのと同じ事です。

また、先ほどの「逆もまた真なり」で、変な例えですが、これはオシッコでも同じです!
代わりにオシッコをして貰う事も出来ませんし、して上げる事も出来ません(笑)

 

そして、
安土羅先生:
『 彼女(娘さん)の課題に土足で踏み込まず、信じて見守って上げて下さい。
  さもなくば、彼女が人生の選択に失敗したと思った時、それをきっとお母さんのせい(責任)にするでしょう、、、もしかしたら、恨んだり、復讐しようとしたり(笑顔)、、、自分の人生の責任は、自分で取るしかないんです。 』

と。
そして、母親が帰った後、安土羅先生は皮肉?を込めた独り言で、『 まぁ、あなた方が、どう変わるかは、私の課題ではありませんけどね、、、(笑顔) 』とも(笑)
そして、再び女子高生がやって来て、

安土羅先生:
『 もし、親の期待に応えて、喜ばせたとして、それでは、他人の人生を生きている事になるからね。

  (自分の人生を生きるのは勇気が要るが)でも、それは幸せになる勇気であるんじゃないのかな!? 』

と。
そして、この視点をアドラーは次のように表現しています。

 

人間は自分の運命の主人公である

 

と。
そして、このような「課題の分離」というのは、「無関心」を装う、あるいは、「(誤った意味での)自己責任」などの意味では無い事はご理解頂けるかと思います。

最後に余談でも少し触れますが、ソーシャルディスタンス(社会的距離)なども含め、「人間関係の距離感」というのは確かに存在します。
「君子の交わりは淡きこと水の如し」という言葉もありますし、先ほどのお腹に例えると「腹八分目」という言葉もあります(笑)

 

そして、これは決して揶揄しての表現ではありませんが、「真面目」な人の中には、この人間関係の距離感を、一度自分で決めてしまったら、何時、如何なる状況であろうとも、「それを維持し続け、頑なに守ろうとする(変えようとしない)」という傾向も見受けられます。
「臨機応変」に変えて良いのです(笑)
では、最後に進んで参ります!