では、ここからは『 自己発見 』(湯川秀樹、講談社)という書籍からの、湯川 氏の言葉(話し)を3つほど引用して参りますが、この本は「昭和54年8月15日第1刷発行」からのものです。
今回のテーマでもある「加速」&「内面(側)と外面(側)」を少し意識しながら読み進めてみて下さい!
そして、ここからの内容は、「今」から40数年程前に語られているものです、、、
〇 「庭の構図」の中の「スピードの限界」より引用と抜粋(1970年)
『 人間は快感を求め、不快感をなくそうと努力する。
多くの人、特に若い人にとって、スピード感は快感の中の重要な一種になっている。
自転車より自動車の方が好まれる理由の一つは、スピードがより大きい点にある。
日常生活のテンポが、だんだん速くなってきたこと自体を進歩と考える人が多いのも、同じ理由からであろう。
しかし人間は年がら年じゅう走りまわっているわけにはいかない。
毎日、何時間かは寝なければならない。
起きている時でも時々は休憩したり、思い切って動作のテンポを遅くしたくなる。
能のように動きの少ない、動きの遅い芸能が今日まで残ったことは、そういう高度のバランス感と関係があるであろう。
そういうことと関連して、私が前々から気にしていたのは、速さにも遅さにも限度があるはずだということである。
速い方も遅い方も、ある限度を越すと不快感に変ってしまうのではないか。
人間の生理的なリズムからあまり離れてしまうことは、危険であるばかりでなく、生の感覚より死の感覚に、より近くなるのではないか。
そういう限度は、人間の生理にもとづく以上、昔も今も、あまり変らないのではないか。
(中 略)
現代のスピード狂的傾向は、やはり異常であり、生理的限界を越している、と考えるほかないであろう。 』