誰かや何かの為にという真の動機 ~刑法学者:團藤重光ノートから鶴の一声を考える~

第458回:『 誰かや何かの為にという真の動機 ~刑法学者:團藤重光ノートから鶴の一声を考える~ 』

【 その他参照ワード:大阪国際空港事件、最高裁判所、緊急事態条項 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!

先日の4月15日のTOPICSでは、《 誰かや何かの為にという落とし穴!?(意図的に造られる美談も含め) 》とのテーマを掲載しましたが、その内容と《 繋げて重ねて 》眺めると、より実りある視点になります(笑)

 

では、番組『 ETV特集 』(Eテレ)から「 誰のための司法か ~團藤重光 最高裁・事件ノート~ 」の回を眺めます!

 

 

【 團藤 重光とは 】

團藤 重光(だんどう しげみつ)を知っている人は、おそらく少ないでしょう(笑)

團藤は、元は刑法学者です!

 

そして、法律や裁判のテーマは馴染みが無く、難しく感じる人もいるでしょう。

ただ、TOPICSでは、

 

物事や出来事は大なり小なり、それぞれを反映している!!!

 

との視点を、幾度も伝えています!

つまり、

 

《 気づける材料(物事や出来事) 》は身の周りに溢れている!!!

 

という事実を、示唆した視点です!

 

 

ただし、

 

目を背けていなければ・・・

 

という条件付きです、、、(笑)

では、《 食わず嫌い 》に陥らず、まずは触れてみて下さい!

 

團藤(1913~2012年)は23歳の若さで、東京大学(旧:東京帝国大学)法学部の助教授に就任しました。

そして、その後は、

 

戦後法学界の巨人と称され・・・

刑法学の第一人者!!!

 

となり、戦後の新憲法の下で、刑事訴訟法の全面改定にも加わりました!

 

そして、東京大学を定年退官した1974年、最高裁判所の判事(裁判官)に就任しました。

15人いる最高裁の判事の中で、唯一の学者出身の判事となりました。

 

そして、

 

当時は《 開かずの門 》と言われた・・・

刑事裁判のやり直し・・・

つまり、再審の基準を明確化した!!!

 

という実績も評価されています!

ちなみに、これが「疑わしい時は、被告人の利益に」との概念です!

 

 

そして、再審の基準を明確化した理由に関し、講演で語った音声が残っています、、、

 

團藤:
『 こういう事をして良かったと、今では思っています。 再審の道が開かれるという事は、裁判の信用を失わせるのではないかという見方も絶無ではありませんけれども、私は間違いは少しでも早く正すのが、これこそが信用を得る道だと、再審の道を開いておく事の方が、むしろ裁判全体の信用を高める所以であると考えております。 』

 

そして、晩年を共に過ごした甥の奥様が、團藤が最高裁判事の職を受けた理由に関し、次の話を聞かされました、、、

 

甥の奥様:
『 ずっと(法律を)勉強し、研究し、自分自身でも法律を作り、という事をやって来たけど、その作った法律が一般社会に裁判みたいな形でどう扱われて、どう生かされて、どういう影響をっていうのに対して、非常に自分が作ったものに対する責任というか、跡をきちんと追いたかったっていうような事を、話(理由)として聞きました。 』

 

そして、

 

團藤の他界後に・・・

最高裁の審理過程が明かされる38冊のノート・・・

 

が見つかりました、、、

 

そして、公害裁判として国(政府)の責任が《 初めて問われた(訴えられた) 》大阪国際空港事件に焦点が当てられます!!!

 

 

【 大阪国際空港事件とは 】

大阪国際空港事件は、1969年に起きました。

これは、航空機の騒音やライトによる公害及び光害に苦しんでいた住民達が、夜9時以降(~翌朝7時まで)の航空機の飛行差し止めを求め、国(政府)を相手に公害訴訟を提起した裁判です。

そして、訴訟は12年に及んでいきます、、、

 

航空機による公害(光害)の発端の一つが、1970年開催の大阪万博でした。

なぜなら、大阪に数多くのジェット機がやって来る事になったからです。

ちなみに、当時は「3分半に1回」の割合で、大阪上空を飛行機が通過しました。

 

そして、1974年の大阪地裁判決では、夜10時~翌朝7時までの飛行差し止めを認めました。

しかし、住民側は要求が満たされていないと控訴しました。

 

そして、1975年の大阪高裁判決では、夜9時~翌朝7時までの飛行差し止めを認めました。

そして、認めた理由が「人格権の侵害」でした。

この人格権とは、

 

「生命・身体・生活」を・・・

他人から侵害されない権利!!!

 

です!

 

しかし、人格権の規定は民法には無く、学説で提唱される概念に過ぎませんでした。

故に、1975年に国(政府)は最高裁へ上告しました。

そして、国(政府)側の代理人が、運輸省と法務省になりました、、、

 

 

【 雑学:三権分立 】

ところで、「三権分立」との言葉があります!

これは、

 

「国会(立法)・内閣(行政)・裁判所(司法)」の三者関係上で・・・

《 人権救済の最後の砦 》が裁判所(司法)・・・

 

と言われる所以となります、、、

 

ちなみに、「人権救済の最後の砦」とは、

 

あなた一人が・・・

国会(立法)に法律を作ってくれ! 内閣(行政)に施設を造ってくれ! などと懇願しても・・・

聞き入れて貰えない!!!

 

から、最後は裁判所(司法)に頼む(訴える)という意味です(笑)