【 前例に囚われない 】
最高裁には、3つの《 独立した 》小法廷があります。
そして、それぞれの小法廷は5人の判事で担当し、審理する仕組みです。
故に、最高裁には15名の判事が存在します。
そして、当時は国(政府)を相手にした、公害等の訴訟が数多く提起されていました。
その先駆けが、大阪国際空港公害訴訟であり、
この判決次第では・・・
他の訴訟へも多大なる影響が及ぼされる・・・
と捉えられていました、、、
そして、大阪国際空港公害訴訟は、團藤が所属していた第一小法廷で行われる事になります!
それに関し、團藤のノートには、以下の通り書かれています、、、
ノート:
『 一応の結論、差し止めが中心。 事実上(大阪高裁判決に基づいて)9~7時、禁止している。 原判決(大阪高裁判決)を是認していいのではないか。 「人格権」でいくほかあるまい。 』

ただ、最高裁で人格権が認められた前例はありませんでした、、、
しかし、人権尊重を旨とする團藤は、審理の過程で住民達の被害の詳細を記録していました、、、
ノート:
『 小学校の授業、防音装置があっても中断。 汽車の接近に(航空機の騒音により)気づかないで子どもがひかれて死亡した事故あり。 』
【 人を見た法律を作る 】
それ以前の團藤は、
売春する人を救済する法律の制定
に取り組み、1956年の売春防止法の立案に参加しました。
しかし、売春防止法に反対する女性から手紙が届きました。
手紙には、病気の父や幼い妹を養う為に買春せざるを得ない状況など、切実な内容が訴えられていました。
そこで、團藤は立法審議の中で、次の通り述べました、、、
團藤:
『 売春を悪とするのは賛成だが、(売春する人を)罰するのは踏み切れない。 』

つまり、売春する女性に必要なのは刑罰ではなく、
保護と更生であり・・・
処罰の対象は業者である・・・
と説きました、、、
そして、刑罰に向き合う《 自らの姿勢(軸や芯) 》に関して、團藤が講演会で述べた言葉です、、、
團藤:
『 私は刑事訴訟というもの自体が、ただ上から冷静に見てるだけでいいものだとは思っていないんです。 公平でなきゃいけない。 公平でなきゃいけませんけれども、被告人というものをちゃんと見て、被告人との間に気持ちが通じなきゃならない。 この気持ちの通じ合いがあるような、そういう当事者主義でなければ、本当にいい刑事裁判というものは出来ないと思うんです。 』

【 最高裁の判決が覆った理由 】
大阪国際空港公害訴訟に話を戻すと、1978年5月22日、團藤が所属する第一小法廷は口頭弁論を結審し、判決見込を9月頃に出す段取りをしていました。
しかし、奇妙な事に、最高裁は判決直前になって、2度に渡る審理のやり直しを行いました。
すると、
当初と結論が覆った・・・
という事態となりました、、、
その理由(経緯)が團藤のノートに書かれており、内幕が明らかとなります、、、

判決言い渡し目前の第一小法廷では、
和解での決着の選択肢も同時に探り・・・
住民側の弁護団も内容次第では応じる構えを見せていた・・・
という状況があり、5月29日から和解協議が始まりました。
そして、第一小法廷の裁判長から聞いた和解協議の内容を、團藤はノートに記していました。
それが、次のような内容です、、、
第一小法廷の裁判長は、
仮に判決があったとしても、国(政府)が解決の責任を負うのが当然であり・・・
現状の夜9時以降の差し止めを認めている事実を変えてはならないのが・・・
和解内容の前提である・・・
と考えていました。
しかし、国(政府)の代理人である法務省が、
総論賛成
各論反対
との方便を持ち出し、夜間の飛行差し止めは認めないと反対しました、、、

そして、2回目の和解協議では運輸省も関与して来ました。
すると、航空機の運航は公共性も高く、他国の航空機の乗り入れも関係するなどを方便とし、
法務省の態度は更に硬化する(和解を受け入れない)・・・
という事態となりました、、、
故に、裁判長は6月28日に和解を打ち切る事を決断しました。
そして、第一小法廷は固めていた判決を、9月に出す方向に舵を切ります。
しかし、何故か、この後に事態は大きく動きます、、、

つまり、團藤を始めとする、
現場の判事達の当初の見解が・・・
《 何かしらの理由 》で崩されつつあった!!!
という事です!