誰かや何かの為にという真の動機 ~刑法学者:團藤重光ノートから鶴の一声を考える~

この大阪国際空港事件というのは、1969年に航空機の騒音やライトによる公害及び光害などに苦しんでいた住民達が夜9時以降(~翌朝7時まで)の航空機の飛行差し止めを求め国(政府)を相手に大阪国際空港(伊丹空港)公害訴訟を提起したものになります。

そして、この訴訟はその後12年に及んでいきますが、、、結末は、、、如何に、、、

 

この航空機による公害(光害も含め)の発端の一つとなったのが1970年開催の大阪万博に向けて数多くのジェット機が乗り入れるようになった事と分析されております(当時は3分半に1回の割合で上空を飛行機が通っていたそうです)。

そして、1974年の大阪地裁判決では夜10時~翌朝7時までの飛行差し止めを認めますが、これに対し住民側は要求が満たされていないとの理由で控訴しました。

そして、1975年の大阪高裁判決では夜9時~翌朝7時までの飛行差し止めが認められましたが、認められた理由として「人格権の侵害」というのが根拠とされました。

ただ、人格権(生命・身体・生活を他人から侵害されない権利)という規定は民法には無く、あくまで学説として唱えられているものであるとの理由で判決を不服とし、1975年に国(政府)は最高裁へ上告をします。
そして、この時の国(政府)側の代理人というのが運輸省と法務省となっていきます、、、

 

ところで、「三権分立」という言葉は皆さんも一度は!?聞いた事があるかもしれませんが、これは国会(立法)と内閣(行政)と裁判所(司法)という関係があり、《 人権救済の最後の砦 》と言われているのが司法とされているものになります。

この人権救済の最後の砦という意味は、例えばあなたが大変に困った状況にあるとしても、あなた一人が国会(立法)に法律を作ってくれ!内閣(行政)に施設を造ってくれ!と懇願しても、なかなか聞き入れて受け入れて貰えないですよね(笑)

 

では、話を戻しますが、最高裁には3つの《 独立した 》小法廷があり、それぞれ5人の判事で担当し審理するという仕組みになっております(故に先述の通り最高裁には15名の判事が存在します)。

そして、当時は他にも国(政府)を相手取った公害等の訴訟が数多く起こされておりましたが、その先陣(先人)とも言われていたのが今回の訴訟であり、それに基づく判決次第で他の訴訟へも多大なる影響が及ぼされると捉えられておりました。

そして、この大阪国際空港公害訴訟は團藤 氏が所属していた第一小法廷で行われる事となっていきます、、、

それについて團藤 氏のノートには以下の事が書かれておりました、、、

ノート:
『 一応の結論、差し止めが中心。 事実上(大阪高裁判決に基づいて)9~7時、禁止している。 原判決(大阪高裁判決)を是認していいのではないか。 「人格権」でいくほかあるまい。 』

 

ただ、これまで最高裁で人格権が認められた前例は無かったのですが、しかし、人権尊重を旨とする團藤 氏は審理の過程で住民達の被害の詳細を記しておりました。

ノート:
『 小学校の授業、防音装置があっても中断。 汽車の接近に(航空機の騒音により)気づかないで子どもがひかれて死亡した事故あり。 』など、、、

 

ところで、それより以前の團藤 氏は売春する人を救済する法律の制定に取り組んでおり、1956年の売春防止法の立案に参加していきます。
しかし、團藤 氏の元に売春防止法に反対する女性から手紙が届き、そこには病気の父や幼い妹等を養う為にお金が必要な事などが切実と訴えられていました。

そして、團藤 氏は立法審議の中で次のように述べました。

團藤 氏:
『 売春を悪とするのは賛成だが、(売春する人を)罰するのは踏み切れない。 』

 

つまり、売春をする、せざるを得ない女性達に必要なのは刑罰ではなく、保護と更生であり、処罰の対象とするのは業者であると説きました。

このような刑罰というものに向き合う《 自らの姿勢(軸や芯) 》に関して講演会での團藤 氏の言葉です。

團藤 氏:
『 私は刑事訴訟というもの自体が、ただ上から冷静に見てるだけでいいものだとは思っていないんです。
  公平でなきゃいけない
  公平でなきゃいけませんけれども、被告人というものをちゃんと見て、被告人との間に気持ちが通じなきゃならない
  この気持ちの通じ合いがあるような、そういう当事者主義でなければ、本当にいい刑事裁判というものは出来ないと思うんです。 』