【 破れかぶれの策を弄する 】
事態が大きく動いたのが、最高裁の「大法廷回付」でした!!!
大法廷回付とは、小法廷から大法廷に審理の場を移し、15人全員の判事で審理のやり直しをする仕組みです。
ただ、最高裁の規則では、大法廷回付の要件として、以下の4点が定められています、、、
○ 憲法判断をする場合
○ 判例を変更する場合
○ 小法廷で意見が2つ同数に割れた場合
○ 小法廷が相当と認めた場合
つまり、大法廷回付をするか否かは、
担当の小法廷が《 主体となって判断する 》
という仕組みです、、、
そして、第一小法廷で起こっていた出来事に関し、團藤は以下の内容を書き記していました、、、

第一小法廷の裁判長は、
7月18日付けで、国(政府)から大法廷へ審理を移すようにとの・・・
上申書が提出された・・・
と團藤に告げました。
しかし、
国(政府)の上申は前例が無く・・・
異例中の異例・・・
の出来事でした、、、
そして、大法廷回付の決定に際し、
当時の最高裁長官の《 意向 》が働いた
と言われています、、、
後に、本人も意向を働かせた事を認める発言をしています、、、
ただ、繰り返しですが『 大法廷回付をするか否かは、担当の小法廷が《 主体となって判断する 》 』のが、《 筋(規則) 》です、、、

更に團藤のノートによると、第一小法廷の裁判長が最高裁長官の部屋を訪れました。
すると、第二小法廷と第三小法廷の裁判長も同席し、何かを話し合っていました。
そこに、一本の電話が掛かって来ました。
最高裁長官は、第一小法廷の裁判長に受話器を渡しました。
すると、電話を掛けて来た人物は、
法務省の要職を長く勤めた経歴を持ち・・・
今回の訴訟に関して法務省の《 意向を受けた 》元最高裁長官であり・・・
立場上は国(政府)側の代理人で無いにも関わらず・・・
大法廷回付の要望を告げて来た・・・
という内容でした、、、
この件に関し、團藤はノートに次の通り書き残しています、、、
ノート:
『 この種の介入は怪(け)しからぬことだ。 (判決目前の)今になっての上申は好ましくない。 和解の進め方をみて(国側に)不利とみてこの挙に出たのだろう。 引き延ばし作戦でもあろうし、むしろ、実質的には忌避の感じさえする。 』
そして、第一小法廷の裁判長に一任する事に相成りました、、、

【 更なる政府(政治)の介入と圧力 】
8月31日に大法廷回付が正式に決定され、12月に15人の判事全員の審理が始まりました。
通常、大法廷の裁判長は最高裁長官が勤めます。
しかし、
審理開始後すぐに、何故か長官が退任し・・・
内閣の指名に基づいた・・・
《 新たな 》長官が就任・・・
しました、、、
すると、この新たな長官とは、
最高裁長官の部屋で何かの話し合いをしていた・・・
第三小法廷の裁判長・・・
でした、、、

住民側の意向を認め、飛行差し止めの容認を主張したのが、團藤を含めた5人でした。
一方、否認を主張したのが、新たな最高裁長官を含めた5人でした。
そこに、賛否不明が4人となり、意見は拮抗しました。
なお、残りの1人は法務省出身であったが故に、評議回避で除外されています。
翌年の1979年11月、大法廷が結審します。
しかし、この時も、
新たな最高裁長官が審理のやり直しを表明し・・・
判決が更に引き延ばされる・・・
という事態になりました、、、
その理由として、賛否不明の4人の判事が定年退官や死去で、交代が必要だからとされました。
しかし、
新たな判事の任命には《 最高裁長官の意見を踏まえ内閣が行う 》とされており・・・
新たに任命された4人の判事全員が・・・
飛行差し止めの否認側に付いた・・・
という、露骨な結果になりました、、、

【 大局を見据えて良心に従う 】
住民側の訴えを認める判事が5人、認めない判事が9人となり、大法廷の意見が固まりました。
1981年12月、過去の被害への賠償支払い(損害賠償)は命じるものの、
夜間の飛行差し止めは却下・・・
つまり、最高裁の判決は《 門前払い 》・・・
が下されました、、、
ただ、後に住民側と国(政府)側で和解がなされ、夜9時~翌朝7時までの飛行停止は維持されました。
しかし、
この最高裁の判決以来・・・
同種の差し止めを求める多数の公害訴訟等でも・・・
訴えが退けられる(門前払い)ケースが後を絶たなくなった・・・
というのが事実です、、、
そして、團藤は最高裁判決を批判し、自らで反対意見を書きました、、、
反対意見 抜粋:
『 本件のような大規模公害訴訟には、本来ならば新しい立法的措置に待つべきものが多々あるであろう。 しかし、わが国においては新しい事態に対する立法的対処がきわめて緩慢であり、場合によってはむしろ怠慢でさえもある。 したがって裁判所が法形成の上で担うべき役割は一層大きいと言わなければならない。 このままでは国民は途方に暮れる結果になるであろう。 わたくしは裁判所の救済を求める途(みち)を塞いでしまう事に対しては、疑問を持つ。 』

そして、1981年12月16日の團藤のノートには、次の通り書かれています、、、
ノート:
『 長官が開廷宣言、事件の呼び上げ続いて主文を朗読。 傍聴席は老齢者が目立つ。 言い渡しが終わると、傍聴席からため息のようなものが洩れる。 しかし、感心に最後まで静粛にしていた。 それだけに、この判決は原告達(住民達)に可哀想だ。 』
そして、(現行の)憲法76条3項の規定は、以下の通りです、、、
《 すべて裁判官は その良心に従ひ 独立してその職権を行ひ この憲法及び法律にのみ拘束される 》

では、番組の紹介は終了です!
裁判所(司法)は《 人権救済の最後の砦 》と感じましたか???
自由に考えて下さい!!!
では、締め括りに入ります!