誰かや何かの為にという真の動機 ~刑法学者:團藤重光ノートから鶴の一声を考える~

そして、8月31日に大法廷回付が正式に決定され、12月に15人の判事全員での審理が始まりました。
この大法廷の裁判長は最高裁長官が勤めますが、何故か開催後に程なくして長官が退任し、内閣の指名に基づき《 新たな 》長官が就任しますが、この新たな長官というのが先程の場に同席していた第三小法廷の裁判長であった人物でした、、、

ところで、ここはあくまで私の私見のコメントになりますが、デジャビュ(既視感)ではありませんが、数年前に検察庁法改正案が出され、検事長の定年延長を内閣の一存で決定出来るようにするとの動きもありました、、、

 

話を戻しますが、住民側の意向を認め飛行差し止めの容認を主張したのが團藤 氏を含めた5人、否認が新たに就任した最高裁長官を含め5人、不明が4人となり意見は拮抗していました(なお、残りの1人は法務省出身の為に評議回避とされています)。

そして、翌年の1979年11月に大法廷が結審する事になりますが、この時も先程の新たに就任した最高裁長官が審理のやり直しを表明し、更に判決が引き延ばされる事になってしまいます、、、

その表向きの!?理由として、賛否不明の立場であった4人の判事の定年退官や死去などで交代が必要との事とされましたが、新たな判事の任命には《 最高裁長官の意見を踏まえ内閣が行う 》とされておりますが、この新たに加わった4人の判事全員が飛行差し止めの否認側に付きました、、、

 

こうして、住民側の訴えを認める判事5人、認めない判事9人となり、大法廷の意見が固まり、1981年12月に過去の被害への賠償支払い(損害賠償)は命じるが、夜間の飛行差し止めについては却下、いわゆる《 門前払い 》との最高裁判決が下さるに至りました。

その後、住民側と国(政府)側で和解がなされ、夜9時~翌朝7時までの飛行停止は維持されるに至りましたが、、、

が、しかし、この最高裁の判決以来、同種の差し止めを求める多数の公害訴訟等においても訴えが退けられてしまうケース(門前払い)が事実として後を絶たなくなってしまいました、、、

そして、團藤 氏はこの最高裁判決を批判し、自らで反対意見を書いております、、、

反対意見 抜粋:
『 本件のような大規模公害訴訟には、本来ならば新しい立法的措置に待つべきものが多々あるであろう。
  しかし、わが国においては新しい事態に対する立法的対処がきわめて緩慢であり、場合によってはむしろ怠慢でさえもある
  したがって裁判所が法形成の上で担うべき役割は一層大きいと言わなければならない。
  このままでは国民は途方に暮れる結果になるであろう。
  わたくしは裁判所の救済を求める途(みち)を塞いでしまう事に対しては、疑問を持つ 』

 

そして、1981年12月16日の團藤 氏のノートには、、、

ノート:
『 長官が開廷宣言、事件の呼び上げ続いて主文を朗読。 傍聴席は老齢者が目立つ。 言い渡しが終わると、傍聴席からため息のようなものが洩れる。 しかし、感心に最後まで静粛にしていた。 それだけに、この判決は原告達(住民達)に可哀想だ 』

 

そして、(現行の)憲法76条3項の規定には、、、

【 すべて裁判官は その良心に従ひ 独立してその職権を行ひ この憲法及び法律にのみ拘束される 】

と、規定されております、、、

 

では、番組からの紹介はここで終了になりますが、前半で出ておりました『 《 人権救済の最後の砦 》と言われているのが司法とされているもの 』との箇所と、今回の最高裁における判決に至る迄の過程を眺めて見た時に、、、皆さんは、、、《 何を感じる 》でしょうか、、、

先程は《 デジャビュ(既視感) 》とのコメントも致しましたが、、、

 

では、皆さんは自由に考えて頂く事で充分であるという前提の元で、今回の私なりの締め括りをお伝えしてみます!