誰かや何かの為にという真の動機 ~刑法学者:團藤重光ノートから鶴の一声を考える~

私達の誰もが《 嘘 》を付いた経験は一度はある事と思います。
そして、子どもや大人に関係なく、(怒られるなどの)怖れ、本当の自分を知られる事の不安、保身、そして他人を蹴落としたいなど様々な動機がそこには(嘘を付く事には)ある事でしょう。

そして、次のような言葉もあります。
それが、

 

小さな嘘を隠すには・・・

それより大きな嘘を付けば良い(それにより小さな嘘を隠す事が出来る)・・・

 

と。
そして、確かに、

 

嘘にもグラデーション(濃淡)が存在している・・・

 

という事も事実です。
《 源や本質 》が同じとは言え、小さい子どもさんがつまみ食いをした事を隠す嘘と、大の大人が平気で嘘を付く事では、やはりそこには《 違い 》が生じます。
ただ、

 

小さかろうが大きかろうがである事には変わりはない・・・

 

というのも真実です。
であるが故に、このTOPICSで繰り返しお伝えしておりますのが、

 

本当の嘘と・・・

嘘も方便の嘘と・・・

そこにある違いが真の動機である・・・

 

と。
そこに今回の《 誰かや何かの為に 》という視点を当てはめてみます。
本来は医師でもない私がコメントするのは宜しくない事ではありますが、コロナ禍においてはコロナワクチンの接種が(同調圧力も含め推奨されました。
そして、コロナワクチンは特例承認という、言わば長期に渡る副反応が未知数である臨床実験(極端に言えば人体実験)の過程途中にあるものです。
そして、ワクチン接種の推奨に当たっては、

 

高齢者や基礎疾患などがある人を守る為に・・・

 

とのフレーズで、生後6ケ月からの乳幼児にまで推奨されております。

ところで、2015年6月19日の第50回目のTOPICS『 一休さん 』では次の事をお伝えしておりました。
それが、