平たく言えば「自我や個性」とも呼べますが、
「自分が」自分の事をどのように見ているのか・・・
「他者が」自分の事をどのように見ているのか・・・
という《 2つの要素 》が含まれています。
更に、
「自分が他者の事を」どのように見ているのか・・・
という視点も含まれるので、アイデンティティは《 三位一体 》で成り立っているという表現も可能かもしれません(笑)
そして、アイデンティティを形創る(形創っていく)要素には、それこそ無数無限のものがあります。
例えば、ほんの一例としても、
風習、文化、教育、常識、言葉(言語)、人間関係(コミュニケーション)、(生まれ持った)個性・・・
などなど(笑)
そして、
アイデンティティというのは変化していくのも自然であり、変化させて良いもの!
という性質です。
そして、TOPICSでは「自らの軸や芯を保つ事の大切さと必要性」も伝えていますが、ここでは「矛盾」を感じるかもしれません。
しかし、それと同時に「(過度な)二者択一に陥らない事の大切さと必要性」も伝え続けています(笑)
そして、今回のジョン万次郎の人生を眺めていると、
漂流時の14歳の万次郎には《 既に 》アイデンティティが備わっていたのは論を待たず・・・
それは故郷の土佐(先程の風習なども含め)の《 影響を受けた 》アイデンティティであるかもしれず・・・
しかし鎖国をしていた事から日本人としてのアイデンティティは、さほど《 芽生えて 》いなかったかもしれず・・・
という様々な見方が成り立ちます。
そして、アメリカで過ごしていく中、22歳頃の万次郎には日本に帰国したいというアイデンティティ、ホイットフィールド船長始めアメリカ人や文化などへ恩義を感じるアイデンティティのように、
異国(異人)との交流で《 初めて 》自分は日本人であるというアイデンティティの確立・・・
それと同時に・・・
アメリカでのコミュニケーションや教育などから《 加味された 》アメリカ(人や文化など)としてのアイデンティティ・・・
という《 両方を 》感じていたかもしれません。
そして、更にそれと同時に、
漂流したアメリカ人への拷問という仕打ちをしている日本という《 国そのもの 》のアイデンティティ・・・
に違和感や嫌悪感などを感じた事から『 自分は日本の港を開くよう(開けるよう)努力したい 』と手紙に綴ったアイデンティティも含め、ここでも《 3つ 》のアイデンティティが《 存在 》していたのかもしれません。
また、鯨漁で地道な生活を築いた「海」のアイデンティティがある中での、ゴールドラッシュで大金を得た「山」の仕事のアイデンティティもあったかもしれません。
そして《 色々な経験を経て 》いく中で、
もしかしたら晩年に鯨漁に《 再び取り組んでいた 》自らのアイデンティティ・・・
これは万次郎の《 自らの軸や芯の原点 》かもしれないアイデンティティ・・・
などなど、、、
しかし、万次郎のような《 経験 》はしたくとも出来るものではありませんし、私もしたいとは思いません(笑)
ただ、現在では留学や旅行などで、それが「可能となっている時代」と言えるかもしれません、、、