ジョン万次郎の人生に学ぶアイデンティティの創造と確立 ~しなやかさと行動も~

第497回:『 ジョン万次郎の人生に学ぶアイデンティティの創造と確立 ~しなやかさと行動も~ 』

【 その他参照ワード:鳥島、日米和親条約、ペリー、咸臨丸 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!

ジョン万次郎という名前はインパクトもある事から、多くの人が一度は耳にし、しかも、なかなか忘れない!?忘れられない!?名前かもしれません(笑)

私も小学生の頃に伝記を読んだ記憶がありますが、今ではすっかり忘れてしまっていて、漂流から無事に戻って来た事しか知りません!

でも、私と似た人の方が多いのかもしれませんね!?(笑)

 

そして、これ迄も様々な《 人物(人生) 》を取り上げていますが、これは《 美談 》という趣旨でもなく、全てを《 反面教師 》のように扱っている訳でも全くありません。

ただ、

 

特に今年(2024年)は同じ事を二度と繰り返さない為に、歴史から学ぶ事が重要で必要になる

 

そのような年だと個人的には強く感じています!!!

 

 

それでは、今回は『 英雄たちの選択 』(NHK BS)という番組から「 幕末の冒険者・ジョン万次郎 」の回を素材としますので、ジョン万次郎の人生(足跡)を一緒に少し眺めてみましょう!

 

【 漂流する万次郎 】

1841年(天正12年)1月、最年少(14歳)のジョン万次郎(本名:中浜 万次郎)と、他4人の仲間達が延縄(はえなわ)漁に向かいます。

しかし、高知県土佐清水市にある足摺岬の沖合で嵐に遭遇します、、、

それから6日ほど漂流し、ようやく辿り着いたのが伊豆諸島の南にある無人島の鳥島でした。

 

万次郎達は助けを待つ為に島に上陸しますが、火山島であるが故に草木もほとんど生えておらず、水も湧いていない絶海の孤島でした。

助けを待つ中、雨水や時に自らの小便を飲み、食料は飛来して来るアホウドリを捕獲して何とか飢えを凌(しの)いでいました。

 

しかし、漂着してから約3ヶ月が経過する頃には、アホウドリも北に向け飛び去ってしまいます。

海藻などを食べて命を繋ぎ、万次郎は仲間達を励まし続けます、、、

 

すると漂着から143日目の5月9日、沖合にいたウィリアム・H・ホイットフィールド船長率いるアメリカの捕鯨船ジョン・ハラウンド号が万次郎達を救助してくれました。

しかし、当時の日本は《 鎖国政策 》を採っていたので、日本に近づく外国船は《 打ち払うよう 》指示され、万次郎達をすぐに日本へ送り届ける事は出来ませんでした。

しかも、万が一に日本に戻れたとしても、《 外国人との接触 》をした事で死罪となる可能性も多分にありました。

そこで万次郎達は、ひとまず次の寄港地まで一緒に乗船していく事となります、、、

 

(※ この画像は鳥島ではありません。)

 

【 万次郎の決断 】

船旅で万次郎は異国の言葉(英語)や文化などを《 吸収 》していきます!

また、当時は石油が普及しておらず鯨の皮下脂肪から鯨油を採り、それが機械や照明などの動力として重宝されていたので、鯨漁に関しても勉強を《 積み重ねて 》いきました。

 

そのような万次郎の《 姿(勢) 》を見ていたホイットフィールド船長は、立ち寄ったホノルルで「一緒にアメリカに行き万次郎を養育したい」と申し出ます。

万次郎は申し出を承諾し、ホノルルで仲間達と再会の約束を交わし、一時の別れを《 決断 》してジョン・ハラウンド号に再び乗船する事になりました。

 

この頃から万次郎は船員達の間で〖 ジョン・マン(万) 〗という愛称で呼ばれるようになり、1年半の鯨漁を終えアメリカのマサチューセッツ州にある最大の捕鯨基地ニューベッドフォードに《 辿り着き 》ました!