ジョン万次郎の人生に学ぶアイデンティティの創造と確立 ~しなやかさと行動も~

【 万次郎の様々な功績 】

当初は条約締結の際に万次郎は通訳として同席するはずでしたが、幕府に強い影響力を持っていた水戸藩主の徳川斉昭(なりあき)が異を唱えます。

つまり、攘夷派は万次郎を「アメリカのスパイ」なのでは、、、と思っていました。

 

しかし、万次郎はそのような《 周囲の 》軋轢や圧力にもめげず、日本初の本格的な英会話の指南書である『 英米対話捷径(しょうけい) 』を編纂したりなど《 精力的に活動 》していきます。

 

その後、万次郎は1860年(安政7年)に日本人による初の太平洋横断となる咸臨丸の通訳として乗船します。

更に、その寄港地のサンフランシスコで写真の技術を学び、必要な機器類なども持ち帰って《 その後の 》日本の写真の普及と発展にも大きな影響を与えました。

 

 

【 夢を追い続けた万次郎 】

そして《 時は流れ 》時代は明治に入ります。

万次郎は派遣先のロンドンで病を得て帰国し、その後の「71歳」で他界する迄は公の職に就く事はありませんでした。

しかし近年、万次郎の5代目に当たる子孫の方が、晩年の万次郎が書いた雑記帳を発見します、、、

 

そこには1888年(明治21年)の航海日誌のようなものが記され、伊豆諸島の最南端付近の座標も書かれていました。

この年の万次郎は「60歳代」でしたが、この頃には《 自分の好きな鯨漁を再開 》していたのではないか、、、と考えられているそうです。

 

そして、このような万次郎の《 姿勢 》は坂本龍馬などの明治維新を遂行した人達にも多大な影響を与え、その後の日本を近代化へと導き築き上げた人達へも影響を与えたと考えられているそうです、、、

 

 

では、ジョン万次郎の《 人生の振り返り 》は、ここで終了です!!!

如何でしたか???

皆さんの記憶にあるジョン万次郎でしたか???

改めて私と同じように!?と言うか、ほとんど初めて知った(あるいは思い出した)!という人が多いかもしれませんね(笑)

 

では、私の妄想!?も交えた締め括りに入ります!

 

【 三位一体のアイデンティティ 】

「アイデンティティ」を『 広辞苑第六版 』(岩波書店)で調べると(同書では「アイデンティティー」と表記されています)、

 

① : 人格における存在証明または同一性。 ある人が一個の人格として時間的・空間的に一貫して存在している認識をもち、それが他者や共同体からも認められていること。 自己同一性。

 

② : ある人や組織がもっている、他者から区別される独自の性質や特徴。

 

このように定義されていますが、日本語だと何となく分かるようでいて、よく分からない印象かもしれません(笑)