【 事の発端 】
主人公の山岡士郎は、ひょんな事から裕美という女性と出逢います。
裕美は最近赤ちゃんを出産したものの、父親であり婚約者である明夫という男性が突然消息を絶ってしまいました、、、
色々と調べた結果、明夫は事情があってお寺にいる事が判明し、山岡と裕美は明夫に会う為にお寺に向かいます。
すると、お寺の門前には次の事が書かれています、、、
【 不許葷酒入山門 : 葷酒山門に入るを許さず 】
この「葷(くん)」とはニンニク、ニラ、ネギの類(たぐい)の匂いの強い野菜を指し、それらは修業の妨げになるから禁止という意味です!
(※ イメージ画像は高野山ですが、今回の物語とは一切関係ありません!)
【 山岡 VS 門弟 】
そして、山岡達は住職と門弟と話し合いますが「明夫は千日修業に入っているので俗世間の人間と会う事は出来ない」と門弟は突っぱねます!
山岡達は何とか明夫に会わせて欲しいと懇願しますが、門弟はどうしても譲らず、埒(らち)が明かない状況でした、、、
すると、ちょうどお昼時だったので、住職が山岡達に食事を振る舞うよう提案した所、
山岡:
『 いいじゃないか、いただいていこう。 どんなものを食べれば、こんなに物わかりが悪くなるか見てやろう。 』
と門弟を挑発し、それを見ていた住職は「わっはっはっ」と笑っていました(笑)
【 山岡の逆襲!?】
出て来た食事は当然ながら精進料理ですが、門弟は「精進料理は栄養は十分で心を落ち着かせる、修業をする者にとっては理想的な食事だ」と話します。
すると山岡は、
山岡:
『 へ、これが理想的? 笑わせやがらあ。
こんなもんが修業するのに理想的だなんて言ってるようじゃ、坊さん、あんたちっとも悟っちゃいねえな?
こんなもん食って心が落ち着くだと? とんでもない!
こんなもん食べて本物の悟りがひらけたら、お釈迦さまはいらねえって! 』
と、禁句!?をぶちまけます(笑)
そして、山岡は「自分の創る料理の方が本物の悟りを開くものだったら明夫に会わせて欲しい」と住職に持ちかけます。
そして、住職はその賭けに乗る事になりました!!!
しかし、山岡が創った料理はニンニクやニラが満載で牛肉と鶏肉も使い、更に内臓までも使った【 不許葷酒入山門 : 葷酒山門に入るを許さず 】に真っ向から対立する(相反する)料理でした!
すると、当然ながら門弟は山岡の料理に対し「御法度」や「精がついて煩悩が盛んになり修業がおろそかになる」などと激怒します!
そこで山岡が話し始めます、、、
山岡:
『 へえ? じゃ、あんたたちの修業ってのは煩悩にも勝てない程度のものなんだ?
わざわざ精のつかないようなものを食べて、それで煩悩が抑えられたとしても、そんなの本物じゃない。
そんな不自然なやりかたに頼らず、自分の心で煩悩を抑えてこそ本物でしょ。
元気の出ないものを食べて、それでひらいたと思った悟りなんて、ニンニクひとカケ食べたらたちまちくずれてしまうような悟りだよ。
精力をガンガンつけて煩悩が燃え盛るその状態で、煩悩を自らの精神力で抑えて、そしてひらいた悟りこそ、どんなことがあってもゆるがない本物の悟りというもんでしょう? 』
と(笑)
門弟はぐうの音も出ず、住職はまた「はっはっは」と笑いながら、
住職:
『 言うとおりじゃな。
ニンニク食ったらいかん、とか肉を食ったらいかん、とかそんな何かにとらわれた心は、真の悟りから遠く離れたものだ。
たしかにこんな精のつくものを平気で食べてひらいてこそ本物の悟り。
これこそ本物の悟りをひらくための料理だ。
竹井(明夫の事)を呼びなさい。
ここで女人に会ってどうかなる千日修業なら、そんな行も意味がないからな。 』
こうして、目出度(めでた)く親子三人は出逢う事が出来ました(笑)
では、メタファーもここで終了ですが、その上で真の締め括りとして一言だけ付け加えます!!!
それは、
良い意味での欲(望)を《 もっと! もっともっと! もっともっともっと! 》と抱き・・・
欲張りな人生を《 今ここから 》創造する事を自分に許して(赦して)あげる!!!
というものです、、、(笑)
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・ 『 魂の視点から考える鬱などの症状 ~望む自分と望まれる自分との違い~ 』
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