差別(という心や意識)は自らを貶める ~ジャッキー・ロビンソンと美味しんぼより~

例えば、彼がバスに乗っていると運転手から「黒人は後ろに座れ!」と言われ、彼はそれを断固として拒否しますが警察を呼ばれてしまい、終いには軍事裁判にかけられ結果的には無罪となりましたが、彼は軍に嫌気が指し25歳の時に除隊します。

このように、《 どこの世界 》に行っても黒人への差別が横行していましたが、1920年に誕生したニグロリーグという「黒人の黒人による黒人の為の」野球リーグ(14球団)に所属する1つのチームのピッチャーに誘われ、彼は入団テストを受け合格し26歳の時にチームに入団します。

しかも、何と月給は400ドル(現在の価値で約90万円)でした!!!
ちなみに、当時においてメジャーリーグとニグロリーグとでエキシビションマッチの試合を幾度も行っていたそうですが、戦績は圧倒的にニグロリーグの方に軍配が上がっており、二グロリーグには年間100勝以上する投手がいたり、通算900本以上のホームランを打ったと言われるスター選手も存在しておりましたが、現在の所では《 公式に認定 》されているホームランの世界記録は王貞治 氏の868本です(笑)

勿論、悪い意味でも批判などでも全くありませんが、このような《 違い 》が生じているのが現在の世の中や社会である事を覚えておく必要性はあるかもしれません、、、

 

そして、このようなニグロリーグというのも、試合数や移動環境などはかなり厳しく辛い状況のものであり、遠征先ではレストランやホテルなどの利用も拒否されたりなどが《 日常茶飯事 》でもありました。

こうして彼はニグロリーグという舞台で活躍していきますが、ある時、先程のように当時では白人しか所属していないメジャーリーグのあるチームから入団の誘いを受けます。
これが後に、

 

偉大なる実験

 

と称される(評価される)ものになっていきます、、、

そして、彼を誘ったのがドジャースという球団の会長であったリッキー氏という人物でした。
と言うのも、当時は第二次世界大戦の真っ只中であり、若い白人選手が軍に召集され選手が不足していた面もあったからです。

そこでリッキー氏が目を付けたのがニグロリーグであり、黒人選手であり、また、黒人選手を応援する黒人達の観客(ファン)であり、黒人達の観客が増える事によって経営も潤うであろうとの《 思惑 》もありましたが、実は《 理由 》はそれだけではありませんでした、、、

 

かつてのリッキー氏は学生野球のコーチをしていましたが、先程のニグロリーグと同じように遠征先で黒人選手の宿泊を拒否された《 経験 》があったからです。

このようなリッキー氏はメジャーリーグにおける黒人選手の参加を認めるという提案をしていく中で球団からは《 猛反対 》されますが、

 

リッキー氏:
『 メジャーリーグに黒人を入れてはならないルールなどはない。
  観客が増え球団が潤うだろう。 』

 

と《 異を唱え 》ジャッキーの誘いへと結び付いていきますが、その際にリッキー氏は彼に一つの問い掛けをしました。

 

リッキー氏:
『 君はどんな事態が起きようとも怒りを抑えてプレーする勇気があるかね? 』

ジャッキー:
『 やり返す勇気のない選手になれということですか? 

リッキー氏:
『 そうではない。
  やり返さない勇気を持った選手になるんだ。 』

 

そして、シミュレーションやイメージ療法の如く、故意に(わざと)彼に向けて様々な差別的な言動を浴びせ、《 挑発に乗れば敵(相手チームや観客、そして世の中や社会の差別意識を持っている人々など)の思うつぼだ 》と力説し諭していきます。

小さい頃から負けん気の強い彼でしたので、そのような故意(わざと)によるものでもあり、しかも自分の事を想ってくれた上での差別的な言動に対する練習と《 頭では理解 》しつつも、耐えがたい《 感情 》も湧き出てくる中、

 

ジャッキー:
『 できるかどうかわからないが、黒人たちのためにやらなければならないことだけはわかった。
  実験に失敗すれば、私に続く黒人たちのチャンスを潰してしまう。 』

 

と決意します。
そして、ドジャース球団の下部組織の球団に入団し大々的なニュースになりますが、《 新聞やメディアなど 》の反応のほとんどが否定的なものでした、、、