差別(という心や意識)は自らを貶める ~ジャッキー・ロビンソンと美味しんぼより~

そして、シーズン開幕前の27歳の時に彼は妻となるレイチェルと結婚し、メジャーリーグの一歩手前であるマイナーリーグの3Aで野球にひたすら打ち込みプレーし続けた結果、首位打者を獲得しチームのリーグ優勝に貢献していきました。
しかも、この時にはチームの観客動員数も最多記録を樹立しました。

こうして彼が28歳の時に偉大なる実験の《 本番 》となるメジャーリーグに昇格し、この時の1947年4月15日のメジャーリーグ開幕日が先程の黒人初のメジャーリーガー誕生の日となり、彼が付けていた背番号が42番という事になります!

 

しかし、その日の試合では途中交代になったり、その後もヒットが出なかったりなどが続き、黒人達の落胆と共に、白人達の彼への侮辱や差別のヤジが球場を飛び交い、彼の元には野球界から出て行かなければ殺すなどの脅迫状までもが届くようになります、、、

しかも、《 同じメジャーリーグ 》である相手チームの選手からのヤジや差別的言動も然りですが、彼と《 同じチームメイト 》ですら彼を庇おうとする者はおりませんでした。
そして、彼は《 孤独 》を感じ始め、

 

ジャッキー:
『 拷問にかけられたような気持ちになった。
  こんな実験はうまくいくはずがないと思った。 』

 

しかし、彼は必死に我慢をし続け、ひたむきにプレーし続けていきます、、、

そして、妻レイチェルの協力や心の支えもあり、次第に彼は得意の俊足を活かしチームを勝利に導くようになっていきますが、チームメイトとの距離も相変わらず縮まる事もなく、彼は試合後のシャワーも他の選手が帰った後に一人で浴びるなどの日々が続いていきます。

そして、相手チームからは益々《 目の敵 》にされ、頭めがけて死球を投げられたり、怪我に結びつく激しいスライディング(スパイク)をされたりしますが、やはり、これ迄と《 同じように 》ひたむきにプレーし続けていった所、次第にドジャースファンから声援が送られる(贈られる)ようになり、

 

ジャッキー:
『 黒人選手が勝利をもたらすならばファンにとって肌の色は関係がない。 』

 

と状況が変わりつつありましたが、《 未だに 》ヤジや差別的言動を繰り返し続けているのが《 同じ世界 》のメジャーリーガー達でした。

しかし、ある時、同じチームの主将であるリースが彼を庇うようになっていきます。
そして、《 白人である自分(リース)すら 》もヤジってくる相手チームの選手に対し、

 

リース:
『 ヤジりたければヤジればいい。
  だけど、俺たちはここに野球をしに来てるんだ! 』

 

と宣言します。
こうして《 チームの内部 》も段々と変わり始めていきます、、、

と、このような《 足の引っ張り合い 》とでも言えるような《 同じ業界 》であったり《 同じ会社 》であったりなどの、特にお仕事や職場などでは《 同じ(似たような)光景 》を見ている方々も多いかもしれませんね!?(笑)

 

そして、シーズンも後半に差し掛かる8月のある試合で彼が1塁を守っていた時に、打者が突進して来て故意に(わざと)彼の右足を踏みつけ彼は倒れ込んでしまいます。
すると、チームメイトが彼の元に集まり、

 

チームメイト:
『 オレたちの仲間に何をしやがる! 』

 

と、《 チームの心が一つに 》まとまっていきます。
そして、その年のドジャースはリーグ優勝を果たし、彼も素晴らしい成績を収め、第1回目の新人王にも選ばれ、ここにメジャーリーグが黒人選手を《 認めた証 》と評されるようになりました。

そして、その後は《 続々と他の球団 》にも黒人選手達が入団し活躍していきます!

そして彼が30歳の時に、リッキー氏が彼に以下のように告げます。