差別(という心や意識)は自らを貶める ~ジャッキー・ロビンソンと美味しんぼより~

では、内容に進めて参りますが、毎年4月15日黒人初のメジャーリーガーとなった今回の主人公のジャッキー・ロビンソンをリスペクトする想いから、彼がデビューしたこの日にちなんでメジャーリーグの全選手は然り、監督やコーチも含め全員が「42番」の背番号で試合する日が設けられています。

ところで、20世紀の半ば近くまで約400名のメジャーリーガーは全て白人でした。
この20世紀のアメリカでは奴隷制度は既に廃止されていましたが、《 名を変えた 》人種隔離政策なるもので《 実態 》は差別意識が未だに渦巻いていました。

そして、野球に限らずプロスポーツの世界においても、《 建前上 》は黒人が白人と同じ舞台でプレーする事は制限されていないものの、《 実態ではあり得ない 》という差別意識が根強く残っていました。
そして、ベースボールとはアメリカを代表するスポーツであり、その最高位に当たるメジャーリーグでは、その差別意識が更に酷いものでした、、、

 

1919年に彼はアメリカ国内(ジョージア州カイロ)で生まれますが、祖父がアフリカから連れて来られた奴隷であり、彼の父も長時間労働や暴力などは当たり前の過酷で劣悪な環境で働かされていました。
しかも、この時の彼の父の月給は12ドル(現在の価値で約27、000円)でした。

先程のように彼が生まれた当時は奴隷制度は廃止されていましたが、アメリカ南部の11州では公共施設などを利用する際には黒人専用と有色人種専用とを《 恣意的に分けられる 》人種隔離政策が行われており、黒人達は暴言を浴びせられたり、暴力を振るわれるなどの常に危険と隣り合わせの日々を送っていました、、、と言うより、送らざるを得ない社会的な状況でした。

そのような中、彼が1歳の時に父が作業場から逃げ出し消息不明となってしまい、彼の母は1人で5人の子どもを育てる為に、兄を頼りにカリフォルニア州に引っ越します。
しかし、幾ら朝から晩まで働いても母の月給は僅か8ドル(現在の価値で約18、000円)しか貰えませんでした。

 

ところで、彼が8歳になった時に隣の家に住む白人の少女が彼に向かって「ニガー!」という黒人を差別する言葉で罵って来た出来事がありました。
そこで彼は逆に貧乏で無学という白人の侮辱を意味する「クラッカー!」という同じ差別言葉で《 応酬 》します。
そして、特にその時から少女の父親などが彼の家に難癖を付けて来るようになりますが、それについて彼の母は、

 

母マリー:
『 白人に対して卑屈にならず誇りを持ちなさい。
  家族に恥をかかせることで自分の人種に恥をかかせることになる。 』

 

と、彼を諭し続けたそうです。
そして、10代に入ると彼は仲間とつるみ悪巧みなどを行っていきますが、そのような折りに牧師のダウンズという人物と出逢い、彼はスポーツの世界に入って行くようになります。

そして、彼は多くの大学からスカウトされるようになっていき、スポーツの名門校でもあるUCLA大学に進学し、野球も含めた4競技で活躍していきますが、2年で中退してしまいます。
と言うのも、幾ら良い成績をスポーツの世界で残して大学を卒業しても、先程のようにプロの世界では《 実質上 》黒人の活動の舞台は制限されていたからです。

そこで、彼は自らがプレーヤーとなるのではなく、子ども達に教えるコーチになる為に政府の青少年局での職に就きます。
が、しかし、23歳の時に第二次世界大戦が勃発し事業も中止となり、彼は陸軍に召集されます。

そして、彼はアメリカ国民としての使命を喜んで果たそうと軍に入隊しますが、そこでも彼への差別が止む事はありませんでした、、、