第603回:『 放射線被曝の実態 ~喉元過ぎれば熱さを忘れる末路とは~ 』
【 その他参照ワード:東海村臨界事故、JCO、原発 】
S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!
東日本大震災から15年を経過しますが、物価高騰の影響も相まってか、
僅かここ数年で・・・
原発再稼働容認の声が高まっている・・・
という風潮が見られます。
勿論、賛否を含め、色々な意見や考え方もあり、それが自然で当然の事です。
ただ、
未だに「人の手」では制御出来ない事実から・・・
「目を背けて」はいけない!!!
という視点が「忘れ去られて」いると感じます。
いわゆる、
喉元過ぎれば熱さを忘れる
という事です。

しかし、
喉元を過ぎた「何か」は・・・
あなたが「気づかぬ」内に・・・
必ず体内に「蓄積」される・・・
という視点も「見逃されて」います。
同じ事は、新型コロナウイルスに関するmRNAワクチンの、
人体への「長期的影響」は・・・
未だに「謎」で解明されていない・・・
との「事実」も当てはまります、、、

では、《 2001年 》放映の番組『 NHKスペシャル 』(NHK)から、「 被爆(ひばく)治療83日間の記録 ~東海村臨界事故~ 」の回を少し眺めます!
【 杜撰(ずさん)が引き起こした臨界事故 】
1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工施設の株式会社ジェー・シー・オー(JCO)で、
前代未聞の臨界事故
が起きました。
そして、現場の作業員2人が高線量の放射線を浴びて亡くなりました。
故に、
日本の原子力開発史上初となる・・・
被爆による死亡事故・・・
と言われます。
そして、犠牲者の一人が大内 久さん(当時35歳)です。
大内さんは同僚と共に、
バケツでウランを濃縮する作業
を行っていました。
しかも、その作業には、
臨界事故が起こる危険性があるとは・・・
会社から一切聞かされていなかった・・・
というのが実態でした。
このように、あまりにも杜撰過ぎる実態を鑑みると、
本当に「事故」なのか???
もしかしたら、人の手による不作為の「事件」に該当するのでは???
と、個人的には感じます、、、

【 打ち砕かれる人の驕(おご)り 】
大内さんが最初に運び込まれたのが、放射線医学総合研究所(放医研)でした。
その際、放医研の医療従事者は特殊マスクの着用を含め、完全防護服で対応しました。
そして、大内さんは被爆3日目に、東京大学附属病院の救急部集中治療室に転院します。
そして、主治医となったのが、約30年に渡り救急治療に携わって来た、前川 和彦さんでした。
しかし、前川さんが診察した所、大内さんはとても元気で、どこから見ても高線量の放射線被曝をした容態には「見えない」ほどでした。
故に、転院の搬送時も「普通の」入院患者と変わらず、看護師も間もなく快復して退院出来るのではと思っていました。

ただ、転院後の僅か1日で、大内さんの右手が「一気に」日焼けしたほどの赤みを帯び始め、少し腫れも生じ始めました。
そして、大内さんが最も多い放射線を浴びたのが右手ですが、その線量は、
一般の人の年間許容量の約2万倍
でした。
こうして、大内さんを救うべく、
世界でも前例の無い治療
が始まりました。
そして、未知の治療に際しチームが組まれ、最新の医療技術も全て投入する事になりますが、リーダーの前川さんは次のように回想します、、、
前川さん:
『 一言で言うと、我々医療者としての驕(おご)りを、微塵にも砕いてくれたと言っても、いいんじゃないかと思います。 』

【 放射線障害の影響とは 】
臨界事故が起こった「瞬間」、放射線が大内さんの体の細胞の染色体を貫通しました。
この染色体とは、
全ての遺伝情報が収められた・・・
人体の設計図・・・
です。
そして、正常な染色体はそれぞれの番号が決まっていて、順番に並べる事が出来ます。
しかし、大内さんの染色体を調べた所、
染色体が断ち切られているが故に、並べる事も出来ず・・・
しかも、通常はあり得ない別の染色体と結合していた・・・
という放射線障害の影響が、既に生じていました。
そして、
染色体が破壊されるとは・・・
今後、新しい細胞が作られなくなる・・・
という事を意味します、、、

【 最初に現れた血液の異常 】
皮膚以外の大内さんの体で、最初に異常が現れたのが血液の細胞でした。
特に、
体を守る白血球が急激に減少したが故に・・・
ウイルスや細菌に感染しやすくなる・・・
極めて危険な状態・・・
に陥りました。
そこで、被爆6日目から、無菌室での治療が始まりました。
しかし、健康な人の10分の1にまで白血球が減少し始めたので、
残る唯一の治療法が・・・
白血球を作る細胞を移植する事だけ・・・
という、他に打つ手がありませんでした。

そして、移植が可能になるのは、大内さんと型が一致する白血球を持つ人が必要ですが、大内さんの妹が該当しました。
そこで、被爆7日目から妹の採血が行われ、血液の細胞移植が始まりました。
ただ、結果が出るのは10日後です。
そして、この頃の大内さんは面会に訪れた家族は然り、看護師とも普段通りに「会話」が出来る容態でした。
ただ、一方で予断を許さない状況でもある事から、前川さんは大内さんの容態や検査結果を、家族に「毎日」伝え続けました。