第604回:『 安楽死が見据える先にあるもの:前半 ~自殺幇助との違いを考える~ 』
【 その他参照ワード:尊厳死 】
S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!
ここ最近の世界の趨勢は、
安楽死「容認」に傾きつつある
という流れです、、、
ところで、前回のTOPICSでは「放射線被曝」の実態を取り上げ、
筆舌に尽くしがたい・・・
凄惨極まる放射線障害の影響・・・
を紹介しました、、、

そして、「内側から破壊」され続ける人体の容態では、
本人は然り、周りの人達も・・・
安楽死が頭をよぎるのも・・・
無理からぬ心情・・・
かもしれません、、、
ただ、特に日本では、
安楽死と尊厳死が混同されている
という状況が長く続いています、、、
そして、今回の内容に関し、
安楽死と自殺幇助の違い
を、あなたなりに考えて下さい、、、

では、《 2021年 》放映の番組『 フランケンシュタインの誘惑 』(Eテレ)から、「 ドクター・デス 死を処方する医師 」の回を少し眺めます!
【 人呼んでドクター・デス(死を処方する医師) 】
時は1998年、アメリカ全土で、
末期患者を安楽死させる場面
がテレビ番組で放映され、多くの波紋を呼びました、、、
実行したのが、「元」医師のジャック・キボキアンです。
キボキアンは苦しむ事なく、確実に死ぬ事が出来る、
自殺装置を開発し・・・
130人を死に至らしめたが故に・・・
ドクター・デス(死を処方する医師)・・・
と呼ばれました。
時を遡った1987年、キボキアンはミシガン州デトロイトの新聞誌上に、以下の広告を掲載しました、、、
《 あなたの家族に死を望む末期患者はいませんか? 私に電話して下さい。 》
この時のキボキアンは59歳で、「正式な」医師でした。
ただ、病院勤務を辞めて、生活保護で暮らしていました。
そして、この広告が「皮切り」となり、11年で130人を死に至らしめる事になります、、、

【 興味を抱いたのは生者?死者? 】
1928年、キボキアンはミシガン州の田舎町ポンティアックで生まれました。
両親は1915年に始まったオスマン帝国による、大規模なアルメニア人虐殺から逃れる為に、アメリカに移民としてやって来ました。
そして、姉と妹に挟まれる形で、キボキアンは家族で唯一の男子でした。
そして、
アルメニア社会では、男子がとても大切にされるが故に・・・
その後のキボキアンの人生にも、大きな影響を及ぼす・・・
という展開になりました。
キボキアンは学校の成績は極めて優秀だったものの、「人付き合い」が苦手でした。
そして、1948年に名門ミシガン大学医学部に入学し、病理学を専攻しました。
この病理学とは、
死者を解剖し病気の原因を探る
という学問です。
つまり、平素の人付き合いも含め、
キボキアンにとっては、対象となる主な患者も死者であり・・・
生者との接点は、ほぼ無かった・・・
という環境を、自らで作り出していました、、、

【 大学病院を追われる 】
医学部を卒業したキボキアンは、そのまま大学病院の研修医となりました。
そして、
死期が近い末期患者の病室を訪れ・・・
心電図を取り付けると同時に・・・
瞼(まぶた)をこじ開ける・・・
という研究に没頭しました。
そして、1956年の論文『 眼底による死の確定 』で、その成果を発表しました。
それは、病理医として、
患者の角膜を観察する事で・・・
死の瞬間を見究める方法・・・
でした。
そして、キボキアンが目に付けたのが、
人が死に至る過程では・・・
網膜の血管が徐々に消えていく・・・
という現象でした。
そして、その現象を観察する事で、
何分後に死が確定するかを・・・
正確に予測出来る・・・
と主張しました。

更に、3年後の1959年、新たな論文『 死刑か資本利得か 』を発表しました。
そして、死刑執行に際し、電気椅子を止めて、薬物による処刑を提案しました。
なぜなら、死刑囚に対し、
安からな処刑を与える交換条件として・・・
人体(生体)実験の被験者にする事が目的・・・
だったからです。
そして、第二次世界大戦時にナチスが行った人体(生体)実験に関し、以下の主張をしました、、、
キボキアン:
『 実験自体は正しい事であり、同意を得ていなかった事だけが誤りだった。 』
このような「姿勢」から、キボキアンは大学病院を追われ、地元の病院を転々とする状況になります、、、
