憧れが創造する反映

第347回:『 憧れが創造する反映 』

こんにちは、レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です!

気温の高い日も続くようになり、だんだんと春めいた装いも感じられつつある季節に入ってきましたが、現在のコロナ渦という状況とは言え、これからの時季は新たな出逢いや新たな環境、また、何か新しい事を始めてみたいなど、「心が動く(動きやすい)」時機(好機)でもあります!

そこで今回は「憧れが創造する反映」というテーマをお届けして参りますが、私は野球が好きという事もあり、今回ご登場頂くのは「長嶋茂雄さん」ですが、野球を知らない方であっても、お名前くらいは聞いた事がある方がほとんどであろうとも感じます(笑)

そして、このように今回は長嶋茂雄さんに焦点を当てつつ進めて参りますが、だからと言って、野球を知らない方でも大丈夫な構成にしておりますのと、今回の「憧れ」というテーマにおきましては、2017年4月8日の第144回目のTOPICS『 あなたの憧れの人も・・・人の子? 』においても視点を変えてお届けしておりますので、宜しければそちらも参考にしてみて下さい!

 

そこで、今回活用する素材は、2015年(平成27年)に放映された《 100年インタビュー「長嶋茂雄」 》(NHK BSプレミアム)という番組内での、(当時79歳の)長嶋さんの「肉声」を元に進めて参りますが、長嶋さんは1974年(昭和49年)に現役選手を引退しており、私は1973年(昭和48年)生まれですので、長嶋さんの現役時代のプレーを「直接」見ていた訳ではありませんが、東京ドームに野球を観に行った際などに、解説者として来ていた長嶋さんを間近で見た時などは、ワクワクしたものでした(笑)

なので、私が当初に長嶋さんを見た時というのは、テレビのバラエティー番組や、スポーツ解説、あるいは、コマーシャルなどが主でした。
特にテレビ番組においては、長嶋さんの伝説!?などもよく取り上げられており、ホームランを打った後にベースの踏み忘れを何度かしてアウトになったり、前を走ってる走者を追い越してアウトになってしまったり、また、ご自身のお子さんを球場に置いて家に戻ってしまったりなど、数え切れない程の逸話!?もあります(笑)
そして、何より《 ミスタープロ野球 》と言う事で、後にも先にも「余人を持って代えがたい」との表現も出来るかもしれません!?

 

では、私の前置きはここ迄に致しまして、本題に入って参りますが、長嶋さんは1936年(昭和11年)生まれで、初めて野球(当時は三角ベースボール)をやったのが、終戦の年でもある1945年(昭和20年)だそうで、その時は小学4年生の9歳の時であり、バットは竹を切って創り、ボールは布を巻いて創って貰っていたそうです。

その後、高校卒業時には3つのプロ球団からスカウトされましたが、お父様の反対により立教大学に進学する事にしたそうです。
そして、その立教大学の野球部の監督であった砂押 邦信 氏との「出逢い」を果たします。

その立教大学野球部で教えられていたのは、当時ではかなり珍しく、メジャーリーグ(大リーグ)の野球であり、アメリカから取り寄せたフィルムや連続写真を素材として活用し、試合に勝つだけではなく、(大学野球)ファンを楽しませる野球を目指すよう指導されていたそうです。

 

そして、当時、長嶋さんが「大いに憧れを抱いていた」のが、メジャーリーガーである、ニューヨーク・ヤンキース所属のスーパースターでもあるジョー・ディマジオ氏でした。
この人は《 野球選手の鑑(かがみ) 》とも言われておりました。
ちなみに、当時のジョー・ディマジオ氏はマリリン・モンロー氏と結婚した事で有名でもありますが、この二人が新婚旅行で来日した際に、「一目見たい」との思いを抱いた18歳の長嶋さんは、二人の宿泊しているホテルまで見に行ったそうです(笑)

このように、長嶋さんにとっての「大の憧れ」であるジョー・ディマジオ氏について、以下のようなやり取りがインタビュアーとの間で始まります!