第347回:『 憧れが創造する反映 ~ジョー・ディマジオに憧れた長嶋茂雄 氏のケースから~ 』
【 その他参照ワード:メジャーリーグ、ヤンキース、松井秀喜 】
S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!
今回は「長嶋茂雄さん」を取り上げますが、野球を知らない人でも、名前は聞いた事がある人がほとんどでしょう(笑)
では、番組『 100年インタビュー「長嶋茂雄」 』(NHK BSプレミアム)から、当時79歳の長嶋さんの「肉声」を元に進めます!
【 余談:私と長嶋茂雄さん(笑) 】
長嶋さんは、1974年(昭和49年)に現役選手を引退しました!
そして、私は1973年(昭和48年)生まれなので、長嶋さんの現役時代のプレーを「直接」見た事はありません。
ただ、「大人」になり、東京ドームに野球観戦に行くと、解説者で招かれた長嶋さんを間近で見た時は、興奮でワクワクしました(笑)
故に、私が最初に長嶋さんを見知ったのは、バラエティー番組やスポーツ解説、あるいは、コマーシャルなどです。
そして、特に当時のテレビでは長嶋さん伝説!!!も、よく取り上げられていました!
例えば、ホームランを打った後にベースを踏み忘れて、幾度かアウトになりました。
また、前の走者を追い越してアウトになりました。
更に、球場に子どもを置き去りにして、一人で家に帰宅したりなど、数え切れない程の逸話もあります(笑)
そして、何よりも、
《 ミスタープロ野球 》と呼ばれる・・・
後にも先にも、余人を持って代え難い!!!
のが長嶋さんでしょう!
【 長嶋さんと野球 】
長嶋さんは、1936年(昭和11年)の生まれです。
そして、初めて野球(当時は三角ベースボール)をしたのが、終戦の年の1945年(昭和20年)でした。
その時は小学4年生(9歳)で、バットは竹を切って作り、ボールは布を巻いて作って貰いました。
そして、高校卒業時に3つのプロ球団からスカウトされました。
しかし、父の反対で立教大学に進学しました。
そして、立教大学の野球部監督の砂押邦信 氏と、
運命的な「出逢い」
を果たします、、、
砂押監督が野球部で教えていたのは、
当時ではかなり珍しい、メジャーリーグ(大リーグ)の野球
でした!
そこで、アメリカからメジャーリーガーのフィルムや連続写真を取り寄せました。
更に、試合に勝つだけではなく、
(大学野球)ファンを楽しませる野球を目指す!!!
という指導をしました!
【 長嶋さんの憧れの人 】
当時の長嶋さんが大いなる「憧れ」を抱いていたのが、ニューヨーク・ヤンキースのスーパースター、ジョー・ディマジオです!
ディマジオは《 野球選手の鑑(かがみ) 》と言われ、マリリン・モンローと結婚した事でも有名です(笑)
ちなみに、二人が新婚旅行で来日した際、「一目見たい」と思った18歳の長嶋さんは、宿泊しているホテルまで見に行きました(笑)
では、長嶋さんが憧れたジョー・ディマジオに関し、インタビュアーとのやり取りを少し眺めます!