それは、長嶋さんは自らの「個性」として、あくまでプロ野球時代ですが、敬遠に際して抗議の意を込めてバットを持たずに打席に立った点、一方の松井選手は甲子園での敬遠に際して抗議をするでもなく、淡々と対応していた点、そして、長嶋さんは大学時代に学生(野球)らしからぬと「大人」から非難や批判を浴びた一方で、「大人」になった長嶋さんは高校生の松井さんの敬遠に対する「姿勢」に対し、高校生らしくないと、これは「賛美」で讃(たた)えている点です。
ここにも、このTOPICSで繰り返しお伝えしております、「(過度な)二者択一」や「是非」や「善悪」に陥らないという点と、「繋がって」「重なって」おります(笑)
つまり、
「過度」な何かに陥ってしまうと・・・
自らの「視野(可能性)」を狭めてしまう事になる・・・
という点をお伝えしているものです。
そこで、「視野(可能性)」という言葉が出て来ましたが、
「客観的」に捉える・・・「主観的」に捉える・・・
という事と・・・
「他人(の)事」として捉える・・・「自分(の)事」として捉える・・・
という事では・・・
微妙に(ニュアンスも含め)「違い」が生ずる・・・
という事があります。
そして、一つの例ですが、
「自分(の)事」を「客観的」に捉える事は・・・
「視野(可能性)」を「広げる(拡大出来る)」事に結び付き・・・
「他人(の)事」を「主観的」に捉える事は・・・
「理解(違いを尊重する)」という「想像力(共感)」を強化する事に結び付き・・・
という効果が現れてきます。
そして、現在の世の中や社会で起こっている事の多くが、
「自分(の)事」すら「他人(の)事」として捉えてしまう事による・・・
(他者へは当然の事ながら)自らへの「無関心」・・・
そして・・・
間違った方法で「他人(の)事」を「主観的」と捉えてしまう事による・・・
「異論」の排除・・・
という、言わば、
ボタンの掛け違え
がよくよく見受けられます。
そして、皆さんも洋服(という「体」)でボタンの掛け違えをした際には、(お体などに不自由がある場合などを除いては)簡単に「修正」する事が出来るかと思います。
そして、このように、