節目とは・・・ ~東日本大震災から10年~

第346回:『 節目とは・・・ ~東日本大震災から10年~ 』

こんにちは、レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

間もなく、東日本大震災から10年という事で、テレビなどでは「節目」という言葉をよく見聞きするようになっておりますが、今回は「節目とは・・・ ~東日本大震災から10年~ 」というテーマをお届けして参ります。

そこで、今回のTOPICSにおきましては、特に私の個人的見解を元に進めて参りますのと、その中には、もしかしたら不適切や不謹慎などと思われる表現なども含まれてくるかもしれません。
そして、この10年(間)の社会(世界)全体を見渡した上での、私なりの独自の視点でもありますが、その中には、当然ながら、私自身としての「自省や自戒」も含まれているものです。

特に今回はその点を重々にご理解及びご了承頂いた上で目を通して頂ければ幸いである旨と、まだ間に合うという意味からも、是非、皆さんなりに「考える」素材やキッカケとして頂ければとの「私なりの思い」が趣旨となっております。

 

では、進めて参りますが、まず、震災当時の私自身の「記憶」を「振り返って」みます。
この2011年の3月11日という震災発生当日、当時の私は東京在住であり、その日はある事情で仕事を休んで家におりました。

すると、地震が発生しましたが、かなり大きな揺れであり、食器棚が倒れる寸前であった為、私は揺れが収まるまで、その食器棚を押さえている事しか出来ませんでした。
そして、揺れが収まって家の中を確認した所、オーディオ機器を載せていたケースは根元から折れ曲がっており、また、当時はマンションの6階に住んでおりましたが、転倒防止の為に壁にネジ止めをしていた本棚は、そのネジ自体が壁を引き裂いて、数十センチにも渡る溝の穴が生じていました。

と、これは全てが「修復可能」な事であり、これ自体は特に問題はありませんでした。
そして、先ほど「ある事情」で仕事を休んでいたとコメントしておりますが、実は、私の母の乳がんの手術が3月中旬に決まっていたので、私はその帰省の準備の為に家におりましたが、ちょうど翌日の3月12日の新幹線の切符も既に手配済みでした。

 

しかし、当然ながら新幹線を含めた交通機関は全て麻痺(機能不全)しており、母にも電話をして、状況を見定める事にしました。
そして、確か2~3日後くらいだったかと「記憶」しておりますが、被災地へ届ける支援物資を積み込む為に、青森空港へ向けて臨時の大型飛行機が飛び立つ事を知り、運良くその飛行機のチケットを入手する事が出来、実家へ帰省出来る事となりました。

そして、実家に戻って来て、母の手術の関係の準備などをしていた折り、病院から医薬品や手術器具等の備品が入手出来なくなっており、まずは、手術を1ケ月程延期するとの電話を貰いました。

そして、私自身は一端は青森に帰省出来たものの、手術が延期となったからと言って、すぐに東京に戻れる手段も見つからず、また、仮に東京に戻れたとしても、再び青森に帰省出来る目処も全く立たない事から、そのまま仕事を休んで、母の手術を終える迄、実家にとどまる事にしました。

 

そして、その1年後の3月15日に、私の母は他界しましたが、これは、私の母も震災の犠牲者であるなどの意味では全くなく、更に医療の対応について何かの含みを持たせたりなどの趣旨でも全くありません。

そのように、あくまで、私個人におきましても、この3月という時期は、色々と自らを「振り返る」契機としているという意味合いです。
では、私の個人的な体験をお伝えするのが今回の趣旨ではありませんので、ここから本題に入って参ります。