前半:「過去」のTOPICSを「繋げて」「重ねて」、そして「未来」を「創造」してみる

2018.6.16「発達障害から学ぶ様々な視点」
『 (発達障害に関して複数の番組をご紹介した上で)
今回ご紹介した番組の中で、ある中学一年生の男の子が、次のようにお話していました。

《 自分と障害は別ではないし、(障害は)敵でもない。 上手く付き合っていけたら、気持ちは楽になる。 自分の事を知れば、(ちょっと)楽になる。 》 』

 

2018.6.23「孔雀王に見る光と闇の統合」
『 (「孔雀王」という漫画本を素材としながら)
利己主義とは、周りや他(人)を省(かえり)みず、自らの利益や快楽のみを追い求める、利他主義とは、自らの利益や快楽よりも、周りや他(人)の幸せを考える、と定義されています。
では、本当に、「利己主義」と「利他主義」は、対義語のような、あるいは、光と闇に象徴されるような、相容れぬ正反対の意味なのでしょうか?

他の人の幸せを、自分の幸せとも感じられる・・・(利他主義)
そのような自分をも充分に愛する事が出来る・・・(利己主義)

そして、

自分を充分に愛する事も出来るが故に・・・(利己主義)
なお一層、他の人のさらなる幸せも願えるような心持ちになれる・・・(利他主義)

というようなサイクル(循環)・・・(統合)
は成り立ち得ないのでしょうか? 』

 

2018.7.14「自然(災害)と人間の意識(波動)」
『 (池の水面(みなも)に太陽が綺麗に映し出されている光景を目の前にして、とのイメージを用い)
あなたはその池の水面に一つの小石を投げ入れます。
すると、その水面には・・・波紋が波立ち・・・太陽の姿が歪んで見えるようになりました・・・
このように、石を投げ入れた池の水面は波紋により、時には太陽の姿を見えなくさせたりもします。
しかし、太陽そのものは・・・変わらずに・・・常に・・・あなたの頭上で姿を変える事なく・・・存在し続けています・・・ 』

 

2018.8.18「失う前に・・・気づけるように」
『 最初に「失って初めて気づくものがある・・・」との言葉をご紹介致しましたが、もし仮に、このような「失う」という側面の中に、「失った」という体験をする事によって・・・何かに「気づかせられる」・・・という部分があるとするならば、「失う前」に何かに「気づく」事が出来れば・・・わざわざ「失う」という体験をする必要はない・・・という面も成り立つ事が可能です。 』

 

2018.9.1「魂の視点から考える鬱などの症状」
『 魂の視点から見て「望む自分自身」と・・・「社会から望まれる自分の姿」との間に・・・大きなギャップ(差)を感じている・・・という感情の揺れ動きの中において、「社会から望まれる自分の姿」を・・・(絶対的な)善・・・あるいは・・・良しとする方向性に・・・自分の内面を探そう(あるいは、合致させよう)としている・・・という葛藤や抵抗が、鬱などの症状に結び付いている可能性があるという意味合いです。 』

 

では、抜粋とは言え、かなり長いご紹介となりましたが、今回の前半はここで終了です!
その時々の社会状況や(原文における)文章の前後の繋がりなどもありますので、退屈!?に思われた方もいらっしゃる事でしょう(笑)
ただ、ここまで抜粋してきた内容における、