後半:心の軸を保つ ~E・キューブラー・ロス氏とPCIT(親子相互交流療法)から~

次は、第二段階の「怒り」についてです。

『 否認という第一段階がもはや維持できなくなると、怒り、憤り、羨望、恨みなどの諸感情がこれにとって代わる。
  論理を追って、つぎの問いは、 ” なぜ私を? ” である。

  (中略)

  否認の段階とは違い、この怒りの段階は、家族およびスタッフの立場からしてじつに対処がむずかしい
  それは、この怒りはあらゆる方向へ向けられ(転移)、ときとしてほとんどデタラメに周囲環境へ投射されるからである。

  (中略)

ここでの問題は、患者の立場になって考え、この怒りがどこから来るかを考えようとする人がきわめて少ないということだ。
  たぶんわれわれ自身も、われわれの活動がまだ仕終わらないうちに中断されたら、怒るだろう。
  建てはじめたビルディングが、未完成のままわれわれの手を放れなければならなくなり、代わって他人が完成することとなったら、怒るであろう。

  もしわれわれが旅行や趣味の追求など、休息と慰安の数年を楽しむために働いた金をコツコツと貯めておいたのに、いよいよのときになって、「 それは私のことじゃない 」と否認しないではいられない悲劇的な事実をつきつけられたらどうであろうか?

  (中略)

  この時期では患者はどこへ眼を向けようと、見いだすものことごとくが不平不満のタネである。

(中略)

  悲劇はたぶん、わたしたちが患者の怒りの理由を考えず、それがほんとうは怒りの対象となっている人たちとはなんの関係もないのに、個人的に、感情的に受けとるところにあるのではないだろうか。

  スタッフあるいは家族が、患者の怒りに対して個人的に反応すれば、患者の怒りに油をそそぎ、その敵対態度を増させるだけである。
  スタッフあるいは家族は回避をするだろう。
  訪問あるいは見回りを短くするだろう。

あるいはまた、問題がまったく別のところにあることを知らず、自分の立場を擁護するため、患者と無意味な言い争いをするようになるだろう。 』