後半:心の軸を保つ ~E・キューブラー・ロス氏とPCIT(親子相互交流療法)から~

次は、第五段階の「受容」についてです。

『 もし患者に十分の時間があり( 突然の、予期しない死ではなくて )、そして前にのべたいくつかの段階を通るのに若干の助けが得られれば、かれは自分の ” 運命 ” について抑鬱もなく怒りも覚えないある段階に達する。

  かれはすでに感情を現わすことができた。

  生きている人、健康な人に対する羨望、自分の最後にそれほど早く直面しないでもいい人々に対する怒りなどは吐きつくすことができた。
  かれは自分をとりまく多くの意味深い人々や場所などを、もうすぐすべて失わなければならないという、その嘆きも悲しみも仕終え、かれはいまある程度静かな期待をもって、近づく自分の終焉を見詰めることができる。

  (中略)

  受容を幸福の段階と誤認してはならない
  受容にはほとんどの感情がなくなっている。

  それはあたかも、痛みは去り、闘争は終わり、ある患者がいったように、 ” 長い旅行の前の最後の休息 ” のための時が来たかのようである。
  この時期はまた、患者自身よりは家族が、より大きな助けと理解と支えとを要する時期でもある。

  (中略)

  このときわたしたちのコミュニケーションは言葉ではなく言外である。
  患者はただちょっと手を動かし、しばらく掛けなさいと招くだけである。
  患者はただわたしたちの手を握り、黙ってすわっていてくださいと頼むだけである。

  このような沈黙の時間こそ、死にかかった人の前にいても不快感をおぼえない人々にとっては、またとない有意義なコミュニケーションのそれとなり得る。 』