【 書籍の序文から 】
わたしは死にかかっている患者と二年半をともにし、ともに働いた。
この本は、そうしたはじめての実験のことを語るものである。
そしてこの実験は、参加者すべてにとって有意義な、教えられるところの多いものであった。
この本は、死にかかった患者の管理方法を教える教科書として書かれたものではない。
また死にゆく人の心理の完全研究をめざしたものでもない。
この本はただ、患者を、一人の人間として見直す、この角度から焦点を当てなおすという、まったく新しい、チャレンジングな、与えられた機会の、率直な記録にすぎないのだ。
そうした患者を対話のなかへ参加させ、われわれの、病院という方法による、患者管理の強味と弱味とを、患者自身から学ぼうとしたものなのである。
(中略)
それが相互に満足を与える経験であり得ることを悟るだろう。
その人たちは、人間の心の働きについて、われわれの存在のユニークな人間的側面について、より多くを学ぶだろう。
そして、この経験から、より豊かになるだろう。
【 第一段階:「否認と隔離」について 】
” われわれはしょっちゅう太陽を見ていることはできない、われわれはしょっちゅう死にたち向かっていることはできない ”と言ったのはだれの言葉だったろうか?
とにかく、これらの患者は、自分自身の死の可能性をしばらくの間は見詰めることができる。
だが生き続けるためには、死の考慮はわきへ外(そ)らしておかなければならないのだ。
わたしは、否認が、これらの患者のあるものが長期にわたってその中で生き続けなければならないこうした不快な、痛ましい事態に対する、かれらの健康な対処方法である点を強調したい。
否認は、予期しない衝撃的なニュースを聞かされるときの緩衝装置として働くのである。
否認によって、患者は、崩れようとするみずからを取りまとめ、やがて別の、よりゆるやかな自己防衛法を動員することができる。
だからといって、否認した患者が、後で、自分の迫りくる死についてだれかとゆっくりと落ち着いて語れるようにならないとは限らない。
いやだれかと語ることを喜び、安堵することすらあることを、なんら妨げるものではない。
(中略)
否認はふつう一時的な自己防衛であり、間もなく部分的受容にとって代えられる。
否認維持は、最後までそれが続くならば(それはきわめて希だとわたし(ロス氏)は今も考えている)、必ずしも不幸を増大するものではない。
(中略)
患者にとって、否認はつねに必要であり、末期よりも致命疾患のいちばんの初期にそれが必要であることを、わたしは強調したい。
(中略)
患者が否認機制よりも孤立化(隔離)機制を使用するようになるのは、ふつうずっと末期に近づいてからである。
患者は自分の健康と病気とについて、まるで隣あって存在することが許される双生児であるかのように語り、死を直視しながら、一方で希望をも維持し続けるのである。
言いかえれば、患者の最初の反応は一時的ショックで、そこから徐々に立ち直る。
当初の麻痺感情が消えていくにつれ、患者はみずからをまとめることができるようになり、ふつう、「 違います、わたしがそれであるはずがない 」と答える。
われわれの無意識の心のなかでは、われわれはまったくの不死であって、自分もまた死に直面しなければならないと認めるなどは考えすらもできないのである。
患者がしだいにこの否認を取り下げ、より軽い自己防衛機制を使うようになるのは、主として病状の告げられ方、不可避事態を認めるに要するその患者固有の時間経過、つね日ごろ痛ましい情況に対応する心の準備ができているか否かなどによって、遅速、程度の差がでてくる。
