動物実験の是非を魂の視点から考えてみます ~本質を避けると視野が狭まる~ 

動物実験は「非」

 

になります。
では、なぜ「非」であるのかを考えていきます。

まず、一点目ですが、これは2018年2月24日のTOPICS「ペットなどの動物の魂はどうなっているの?」で取り上げているものです。
その一つとして、魂の進化について触れておりますので、その趣旨を再度見つめてみます。
魂の進化においては、

 

『 鉱物(霊) → 植物(霊) → 動物(霊) → 人(霊) 』

 

と言われていると。
そして、魂の進化という視点においては、

 

『 宿る対象が進化するのではなく・・・宿っている魂(霊)の視野としての進化・・・ 』

 

とも。
そして、人は「万物の長」とも言われたりしておりますが、この本来の意味として、

 

『 人は・・・あらゆる生命の最高位に「君臨」しているのではなく・・・

人は・・・他の魂という生命の進化の「お手本」となるべく存在している・・・ 』

 

と私自身は解釈しているとコメント致しました。
では、二点目を考えていきますが、それは、つい先日の2019年3月16日のTOPICS「スピリチュアルの本質&そこに神は存在するのか?」における捉え方からです。
このテーマにおいては、キリスト(教)の「三位一体」をモチ-フとして、この意味としては、

 

『 「父(という自然法則)」と「子(という自分・自我)」と「聖霊(という(自分以外の)人間や動物や植物などの生命)」 』

 

と捉えていると。
そして、このように捉えた「三位一体」を「私・自分」という一つの個体(個性)に当てはめてみると、

 

『 「心(精神)」と「体(肉体)」と「魂(霊)」 』

 

とも呼べるかもしれないし、「三位一体」における、

 

『 この「三(者)」は本質的に全く同じもの 』

 

と解釈もされており、そこから、

 

『 私達「人間」においては・・・「心(精神)」と「体(肉体)」と「魂(霊)」とのように・・・それぞれが、個別に分離して存在出来るものではなく・・・

私達「人間」とは・・・この「三(者)」の全てが溶け合って(融合して)こそ・・・初めて「人間」として存在出来る・・・ 』

 

とお伝えもして参りました。
そして、このような視点を、(新)薬の開発などにおける動物実験に当てはめてみると、

 

「人間」と「動物」の双方においては・・・

「心(精神)」と「体(肉体)」と「魂(霊)」という「三位」は・・・

どれも「一体」ではない(一致していない)・・・

 

という点が導かれます。
そして、これは、「体(肉体)」は勿論ですが、動物にも「心(精神)」と「魂(霊)」は同じく備わって機能しておりますが、