動物実験の是非を魂の視点から考えてみます ~本質を避けると視野が狭まる~ 

《 動物(ブタ)の体内でヒト(人間)の臓器を作らせ、ヒト(人間)の臓器を持つ動物(ブタ)の子どもを出産させる事を解禁させた 》

 

とのものであり、それに関する新聞報道等では、

 

《 将来は、この動物(ブタ)の体内で作られた臓器を、ヒト(人間)へ移植する事も検討されている 》

 

とのものです。
なお、「ヒト(人間)の子宮への移植や、この方法で産まれた動物の交配は(今の所は)禁止する」とも付け加えられております。

 

そして、このような流れからは「臓器移植」という視点に結び付いていきますが、二つある臓器の一つを提供したり、臓器の一部を提供する移植もありますし、「生体」あるいは「脳死」による移植というのもあります。
また、世界を見渡すと「臓器売買」という事件も実際に存在しております。

なお、魂の視点からの捉え方においては、「脳死」は「死ではない」という視点となりますが、この点に関しましては、適切な時機などを考慮に入れた上で、またの機会に考えていきたいと思っております。

 

そして、先頃には、人工透析を中止した事によりお亡くなりになられた方の出来事も発生致しましたが、この腎臓の治療においても選択肢の一つとしては「腎臓移植」も考慮される事から、今回のテーマと無関係ではありません。
そして、最初のコメントの繰り返しになりますが、ここでも、自分や家族が同じ立場であったならば・・・という心情も、同じように深く関わってくるのは想像力を働かせればご理解頂けるかと思います。

なお、「臓器移植」は今回のテーマではありませんが、補足として、魂の視点からは「臓器移植」をどのように捉えているのかをお伝え致しますと、

 

全ては「動機」次第

 

という視点になります。
また、同列に考えるのは不謹慎と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、同じような視点としましては、例えば蚊を殺すのは良くないのか?などの疑問やご質問も出るかと思われますが、人間も「自然界の一部」である事から、蚊を媒介としたマラリアなどから「身を守る」という意味では、これも「全ては動機次第」という見方になります。

そして、「臓器移植」に関しましては、世界においては次の二通りのスタンスが取られております。
その一つ目は、〖 オプト・アウト方式 〗です。
では、簡単にご説明致します。

 

〖 オプト・アウト方式 〗とは、臓器提供に元々「同意している」とみなし、臓器を提供しない場合には、その旨を事前に意思表示していなければならない

 

というものです。
二つ目は、〖 オプト・イン方式 〗というものであり、現在の日本はこちらを採用しております。

 

〖 オプト・イン方式 〗とは、臓器提供に元々「拒否している」とみなし、臓器を提供する場合には、その旨を事前に意思表示していなければならない

 

というものです。
そして、日本においては「臓器移植法」という法律も存在しておりますが、〖 オプト・アウト方式 〗や〖 オプト・イン方式 〗のどちらが良い悪いという観点ではなく、

 

私達が「無関心」を装っていると・・・

知らぬ間に・・・

このような現状が変更されてしまう(可能性もある)・・・

 

という点は肝に銘じて置かなければならない「時代」であるのも事実です。
そして、このような「動物」の体内に「ヒトの臓器」を作らせるというのは、