200回目のTOPICS ~ 「死」に「理由」は必要か? ~

意識の変容とは・・・

鏡の前に立っているあなたが・・・

どのような表情を表現するのか・・・

そして・・・

どのような表情を表現したいのか・・・

 

という行動と全く同じ事になります。
とてもシンプルなものですが、現在の集合的無意識では「複雑」である事が「成長」あるいは「価値あるもの」と同じように見られがちにもなっています。
そして、これも繰り返しですが、現在の集合的無意識においても役立つものも勿論あります。
しかし、集合的無意識というものに対して、それこそ無意識的に何でもかんでも「当たり前」あるいは「常識」「思い込み過ぎて」しまうと、あなたにとっての「真実」から遠ざかってしまう事にもなりかねません。
それが、

 

あなたの意識の一部が反映されているのが現実世界である

 

と言う事にもなります。
つまり、

 

意識的であれ無意識的であれ、あなたが信じている事が、そのまま現実世界となって(鏡のように)見せてくれている

 

とも表現出来ます。
そして、

 

私達の意識はエネルギーである

 

と言う観点は、ほぼ科学においても証明されつつあります。
そして、

 

エネルギーは消滅する事はなく・・・ただ・・・形(態)を変えるだけ

 

というのは、現在ではそれこそ科学における「常識」になっています(笑)
すると、消滅する事はなく、ただ形(態)を変えるという、

 

私達の意識においては・・・

「死」という消滅はそもそも存在せず・・・

なおかつ、「外側」という現実世界の「形態を変える」パワー(という意識)が元々備わっている・・・

 

という視点から見た時に、本当に「死」に「理由」は必要になりますでしょうか?
そして、現在の集合的無意識においては、「死」に「理由」を必要としているとしても、

 

現在の私達は・・・

「死」への「理由」付けを行う事には焦点を当てているが・・・

「生きる」ことへの「理由(目的)」から目を背け過ぎてはいないでしょうか・・・?

 

どのような集合的無意識でも、信じる信じない、あるいは、受け入れる受け入れないも全くの自由です(笑)
ただ、集合的無意識の一部を創り上げているのも私達自身であり、集合的無意識が存在するからといって、それにあなた自身の全てを当てはめたり、あるいは、従わなければならない「理由」や必要性もありません。
もし、何かを変えたければ、あなたの「外側」のみをクローズアップするのではなく、あなた自身の意識という「内面」を変容させる事に焦点を合わせてみて下さい(笑)

 

そして、余談ですが、青森県短命県返上への取り組みを進めております。