200回目のTOPICS ~ 「死」に「理由」は必要か? ~

第200回:『 200回目のTOPICS ~ 「死」に「理由」は必要か? ~ 』

【 その他参照ワード:集合的無意識、死生観、短命県返上 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!

今回は200回目のTOPICSという面も含め、一度は問題提起として取り上げたかったテーマをお届けします!

 

そこで、最初にお断りですが、今回の内容は科学や医学で証明されている説ではありません。

また、

 

誤解を生じさせる怖れや・・・

不快な思いをさせるケースや・・・

突拍子も無い話や内容・・・

 

など、ネガティブな反応が出やすいテーマかもしれません、、、

 

 

ただ、このテーマを取り上げる「最大の理由」が、

 

多くの大切な人の旅立ち(他界)を・・・

私も経験して来ているから!!!

 

です!

そして、今回の「最大の目的」は、

 

意識の変容!!!

 

です!

勿論、「過去の自分」を捨て去るなどではありません(笑)

 

つまり、表現を変えると、

 

集合的無意識に属する思い込みを・・・

手放すチャンス!!!

 

という事です!

 

 

【 集合的無意識とは 】

集合的無意識とは、精神科医・心理学者のカール・ユングが提唱した概念です!

ただ、今回は私が考える集合的無意識の視点から眺めます、、、

 

それが、集合的無意識とは、

 

多くの人が無意識かつ無批判で同意している・・・

つまり、暗黙の了承・・・

 

という視点です、、、

 

そして、集合的無意識は様々に存在しています。

例えば、

 

○ 夢を実現する為には、血の滲む努力が必要だ

○ 幸せになる為には、何かや誰かを犠牲にしなければならない

○ 年を取ると病気になりやすい

○ お金は悪くて汚いものだ

○ 自分を変える事は、とても難しい

 

など、切りが無いほど出て来ます(笑)

 

 

しかし、集合的無意識であろうとも、あるいは、多数派の見解であろうとも、

 

「真実」を反映しているとは限らず・・・

皆が従う必要も無く・・・

変えたければ、変えれば良く・・・

変えていけるのは、一人一人の思い!!!

 

です!

なお、全ての集合的無意識がネガティブでは無く、ポジティブな集合的無意識も当然ながら存在しています(笑)

 

ただ、現在では、

 

自分が信じている何かは・・・

自分で考え、導き出した訳では無く・・・

他者の言葉尻に唯々諾々と従う事に慣れているが故に・・・

本来の自分自身を見失っている・・・

 

という面が肥大化しています、、、

 

 

【 スピリチュアルと科学の接近 】

この先の内容には、スピリチュアルな視点も含まれて来ます!

ただ、紹介するのは、

 

荒唐無稽の浮ついた視点では無く・・・

科学の最先端分野の研究と・・・

多くの点で「重なって」いる!!!

 

という「共通点」があります!

 

つまり、時に「現実逃避」の言い訳で使われがちなスピリチュアルな視点と、科学が見通す視点が、

 

一つの「同じ道」として・・・

次第にお互いに「接近」しつつある!!!

 

という事実を踏まえた視点の紹介です!

 

 

そして、信じる信じないも、あなたの全くの自由であり、善し悪しの問題でもありません(笑)

 

【 寿命という視点から 】

前提として、「寿命」の概念を眺めます!

 

科学が発展しているとは言え、「寿命」を計測出来る機器は存在しません。

また、世間一般的には、長生きした人が「死」を迎えれば「大往生」と呼ばれ、良い意味での「寿命」と見做されるケースが多いです。

これは、「老衰」も同じでしょう。

 

そして、「九死に一生を得る」などの事象は、確かに存在しています。

あるいは、

 

奇跡

 

と呼ばれる事象も、、、

 

そして、人体に関する最新研究では、

 

人間の肉体(身体)は・・・

200年程は保つ事が可能!!!

 

との説もあります(笑)

 

 

ちなみに、今回のテーマから脱線しますが、

 

病気が治る未来に備えて・・・

遺体(全部または一部)を冷凍保存する施設は・・・

海外では実際に存在!!!

 

しています!

また、同じく遺体保存の発想は、

 

エジプトのピラミッド時代の死生観

 

としての、ミイラにも見られます。

 

そして、スピリチュアルな視点では、

 

「寿命」は自分で決めて、生まれて来る!!!

 

という事です!

 

 

ただ、「〇〇年〇〇月〇〇日まで」などのように、正確無比という意味ではありません(笑)

あくまで、目安である事から、

 

多少の「幅という余地」は残されている

 

という事です。

ちなみに、集合的無意識に現れる、

 

「時間」の概念の違い

 

も関係して来ますが、別の機会に考えます!