【 韓国財閥とパク・チャンジン氏の仕事ぶり 】
大韓航空は韓国有数の財閥ハンジングループの系列会社であり、韓国の財閥は1960年代以降の急激な経済成長を遂げる力となった功績があると言われています。
これが「漢江(ハンガン)の奇跡」と言われるものです。
そして、当時の大韓航空は韓国の10大企業の一つとされ、大学生が最も就職したい会社として1位に上がり、パク・チャンジン氏は1996年に大韓航空に入社します。
するとパク・チャンジン氏は入社から僅か3ヶ月でVIP担当に抜擢されます!
例えば2000年に開催された初の南北首脳会談で平壌に向かうチャーター便の客室乗務を一任されたり、ナッツリターン事件の4~5年前には約350ある接客チームの中から最優秀チーム賞に選ばれ、当時の客室担当の役員であったチョ・ヒョナ氏から直接に賞を手渡されたりなど。
このようにパク・チャンジン氏は自らの仕事に誇りを感じ、丁寧に誠実に仕事に取り組んでいました。
【 大韓航空の内実 】
しかし、ハワイ行きの便でオーナー一家を初めて担当した際に、オーナー一家は客室乗務員に常にぞんざいな言葉を使い、人を見下(くだ)したような態度を取っている事に違和感を持ち始めていきます。
更に、それ迄も担当した客室乗務員がオーナー一家の怒りを買い、懲戒処分や降格させられたりなどが後を絶たなかった事もあり、会社からオーナー一家を担当する際には「オーナー一家とお前達は格が違うのだから、言葉を交わす事は許されない。 言う事を聞いているだけで、意見する事は以ての外だ」と言われ続けていました。
自らの仕事に責任を持ち、誠実に業務に当たっていたパク・チャンジン氏ですが、ある面では会社からは使い勝手が良い存在とされながらも、実際に優秀な客室乗務員でした。
が、しかし、このように優秀であるが故に!?今回の事件に巻き込まれてしまいます、、、
【 事件は起こるべくして起こった!? 】
と言うのも、実はパク・チャンジン氏はナッツリターン事件の飛行機に当初は搭乗する予定ではなかったのです。
しかし、事件の数日前に別の便でチョ・ヒョナ氏が客室乗務員にサラダボールをぶつけるなどの問題を起こし(これは公表されていないそうです)、それでパク・チャンジン氏に今回の便を担当するようにとの指示が出されました。
【 事件後のパク・チャンジン氏への嫌がらせやイジメ 】
そして、事件から1年後にパク・チャンジン氏は仕事復帰を果たしますが、戻って来たパク・チャンジン氏は社員から無視され存在が無かったかのように振る舞われ、機内の現場でもチーフ・パーサーを降格させられ、新人が担当するトイレ掃除をさせられたりなど、イジメ同様の仕打ちをされ続けていきます。
パク・チャンジン氏は飛行中の機内のトイレでネクタイを解(ほど)き自分の首に掛けて自死しようと考えますが、「このまま(自分が)自死したら、会社はもっと悪くなる」と考え、このような《 同じ事を二度と繰り返させない為に 》自分は復帰したのだという《 原点に立ち返り 》、自死を思い留まり仕事を続けていきます。
そして、とても辛い状況と環境の中で仕事を続けていく中でも、お客さんからの励ましに救われていきます、、、
【 声を上げた有志社員 】
が、しかし、ナッツリターン事件から4年後、今度はチョ・ヒョナ氏の妹であり、大韓航空の専務であるチョ・ヒョンミン氏が取引先の会社の社員に会議中に水を掛ける事件を起こ、その時に取り乱して激高している音声が明らかになる事件が再び起こります。
さすがに《 目を背けてはいられない 》との思いで、大韓航空の有志社員が(自らを社内で特定されない為に)仮面を付けてではありながらも立ち上がり、オーナー一家へ声を上げていくようになりました。
この時(まだ大韓航空に勤務していた)パク・チャンジン氏だけは自らの顔を隠すことなく、先頭に立って参加し導いていきました、、、
こうして、事件から5年後にパク・チャンジン氏は大韓航空を退社しますが、その間にはパニック障害や不眠などに悩まされ苦しめられ、先程のように自死を考えたりもあったりなどの経験も踏まえ、現在は労働者の人権を守る為の講演活動などに取り組んでいます!
では、ここで小休止ですが、如何でしたでしょうか???
当時の日本における報道でも、どうしても《 他国での出来事(事件) 》でもある事から、実際に何が起こっていたかを今回初めて知った人も多いでしょうし、私もその内の一人です(笑)