アイヌ民族や文化からベールの先を見透かしてみる ~アイデンティティの統合~

【 現在も続くアイヌへの差別 】

番組には貝澤 太一さん(長男:52歳)が出演し、アイヌ人である先祖や家族に焦点が当てられていきます。

小さい頃の太一さんは祖父や父がしていた活動や取り組みに、さほど興味や関心もありませんでした。

 

しかし、自分がアイヌ人であると強く意識した意識させられたのが現実です)のが高校時代でした。

当時、アイヌ人と知られた事で同級生から石を投げ付けられたり、露骨な差別を受け始めたのがキッカケです。

また、下宿をしていた大家さんから(悪気は無くとも)「お前はアイヌに(容貌は)見えないから心配するな」と言われます。

しかし、太一さんは「それもどうなのだろう???」と感じていたそうです、、、

 

 

【 生きていく為に捨てざるを得なかった 】

貝澤さんの先祖や家族に関しての映像記録が100年前から残っています。

太一さんから見た4代前の高祖父は「ウエサナシ」さん、高祖母は「もぬんぱの」さん。

そして、3代前が曾祖父の「輿治郎」さんですが、この時から和風(日本風)の名前を名乗るようになりました。

その理由は、生きていく為にアイヌの文化や言葉を捨てざるを得なかったから、、、

 

太一さんは祖父と父の活動や取り組みから次第に影響を受けるようになっていきます。

祖父は正さん(1912~1992)、父は耕一さん(78歳)、母は美和子さんです。

美和子さんはアイヌ語で「シサム(和人)」と呼ばれる、いわゆる日本人でありアイヌのルーツはありません。

そして、太一さんは祖父の正さんから言われた言葉に関して、次のように話していました。

 

太一さん:

『 (祖父から)「アイヌである事を誇りに思う事はあっても恥じる必要はないんだ」(と小さい頃に言われ)それが自分がアイヌ差別に打ち勝って来た気持ちの根っこだった。 』

 

【 満蒙開拓団がキッカケとなる 】

ここから少し、今回の真の主人公である祖父の正さんと父の耕一さんに関しての話です!

正さんはアイヌ民族としての《 復権 》に取り組む活動に尽力して来ましたが、若い頃はアイヌを捨てて和人(日本人)になろうともがいていました。

また、耕一さんも正さん(耕一さんの父)と共に尽力して来ますが、小学生の頃は周りのアイヌの大人が荒れ果てている姿を見てアイヌは嫌だと思っていました。

 

そして、正さんはアイヌを捨てるべく28歳の時に国策として進められていた「満蒙開拓団(日本人による満州の開拓)」に加わり満州に向かいます。

この時のスローガンが「王道楽土・五族協和(異なる民族同士が協力し合って平和を築くという理念)」というものでした。

これについて正さんが書き記した文章が次のものです。

 

正さん執筆の「アイヌ民族の復権に生きる」より:

【 ところが満州に行ってみると日本でアイヌを差別したのと同じように、中国人いわゆる「満人」を差別していたのです。 わたしは自分が差別されて育ちましたし若かったものですから、こうした開拓団のやり方に不満を持ち中国人を弁護しました。 するとアイヌのくせに生意気だと歩兵銃を突きつけられ、もう少しで殺されそうになりました。 】

 

 

幻滅とも言える実態を目の当たりにし、日本に帰国した正さんは一度は捨てようとしたアイヌというアイデンティティに《 立ち返る 》事になります。

そして、一度は日本という国により《 断ち切られた 》アイヌの伝統的風習を、正さんと耕一さんが復活させていくようになります、、、

 

【 二風谷で起こっている実態 】

貝澤さん一家が住んでいるのは北海道平取町の二風谷(にぶたに)です。

ここには400人ほどが生活しており、約7割の人がアイヌのルーツを持っています。

そして、二風谷という地名はアイヌ語の「二プタイ」《 木の生い茂る所 》という言葉が由来となっています。

 

そして、ここから先程の『 この川沿いという場所が《 この先の出来事 》にも大きく深く関係して来ます 』という箇所に繋がっていきます、、、

二風谷には現在ダムがあります。

しかし、このダムには泥が溜まり続けていて、その泥が沙流(さる)川から農地に流れ込んで来て被害を及ぼしています、、、