群衆心理(群集心理)が向かう先には:前半 ~理性からの協力と感情で群れる事の違い~

このギュスターヴ・ル・ボン(1841~1931年)とは100年以上前のフランスの社会心理学者であり、著作には『 群衆心理 』(1895年刊行)がありますが、この本は19世紀末におけるフランス革命の余波が残っていた時代に書かれたものです。
故に、ここでも正誤や善悪や是非等ではなく、また絶対的なものでもないという点を改めて意識に刻み込んで下さい。
つまり、

 

行間を読むという意識や姿勢がなければ・・・

毒にも薬にもなる(なり得る)・・・

 

というのは、他のあらゆる面(事象や出来事など)にも当てはまるからです。
そして、この番組ではル・ボンの考え方などは正直《 面倒くさい奴(の考え方) 》との見解もあるであろうとの紹介もされておりました(笑)

 

当時のフランスでは17世紀に国王が建立したベルサイユ宮殿に象徴されるように、少数の特権階級のみが権力を欲しいままにし、多くの国民を支配下(コントロール下)に置いていました。
このような時代背景についてのル・ボンの視点です。

ル・ボン:
『 群衆は、歴史上常に重要な役割を演じてきたが、この役割が今日ほど顕著なことはかつてなかった。
  個人の意識的な行為にとってかわった群衆の無意識的な行為が、現代の特徴の一つをなしているのである。
  まさにきたらんとする時代は、実に《 群衆の時代 》とでもいうべきであろう。
  国家の運命が決定されるのは、もはや帝王の意見によるのではなくて、群衆の意向によるのだ。 』

 

ところで、日本は民主主義の国と言われておりますが、民主主義とは多数決で物事を決するという意味では本来なく、少数(派)の意見も制度や仕組みに可能な限り取り入れる事を目指すものです。
故に、当然ながら民主主義において大切で必要とされる事が、

 

丁寧なコミュニケーションが大前提であり、かつ必須である

 

となります。
そして、ここ最近の日本のみならず、世界各国を見渡しても、民主主義であっても選挙制度などにより独裁と類似した事象を発生させる事が可能であるのは、もうお分かりかと思います。
いわゆる名ばかりの民主主義でもあり《 張り子の虎 》と化しつつあります。

そして、特に最近の民主主義では右派(保守)と左派(リベラル)のように《 過度な二者択一を煽られて(迫られて) 》いるのも周知の通りです。

それにより《 分断 》に行き着いている(行き着いてしまった)、、、のが現代(現在)です、、、

 

そして、どのような主義であれ、全ては《 人間 》が造り出した(考案した)ものであり、故に完璧という訳ではないのは致し方ない面があるのと、目安であったり、大まかな方向性などの《 方便 》として活用されている分にはまだ良しとしても、果たして現代(現在)の状況はどうでしょうか、、、

これが幾度もお伝えしている、

 

最も問われるのは真の動機・・・

 

の意味であり趣旨となっております。