群衆心理(群集心理)が向かう先には:前半 ~理性からの協力と感情で群れる事の違い~

ところで、古代中国の秦の国に趙高という政治家がいました。
趙高は始皇帝が行幸中に病死すると始皇帝の遺言を書き換えて(現代で言う所の隠蔽と改竄をして)権力を自らの手中に収め、やりたい放題やらかしていく事でも有名です。

この趙高が今で言う大臣クラスの者に自らの軍門に降(くだ)るか否かを決めさせる為に「鹿」を檻に入れて、趙高はその檻の中にいる動物を「馬」と告げ、果たしてその動物は「鹿」であるのか「馬」であるのかを決めさせたという話も残っています。
馬鹿 》との語源とも言われております、、、

少々キツすぎ!?言い過ぎ!?の表現であった事はお赦し下さい!!!(笑)

では、気を取り直して進めて参りましょう!

ル・ボン:
『 思想は、極めて単純な形式をおびたのちでなければ、群衆に受けいれられないのであるから、思想が一般に流布するようになるには、しばしば最も徹底的な変貌を受けねばならないのである。
  ある思想が、群衆の水準に達して、群衆を動かすという事実だけで、その高級さ、偉大さが、ほとんどすべて失われてしまうのである。 』

 

ル・ボンは群衆心理が広まった一つの要因として、フランス革命の源泉となった啓蒙思想18世紀にヨーロッパに広まった人間の理性を重視する思想)を挙げています。
この啓蒙思想とは理性の啓発によって人間生活の進歩や改善を目指す考え方ですが、この集大成が具現化したのが百科全書今の百科事典)の誕生(1772年)と言われており、当時のフランス国民の意思形成に影響を与えたとされています。

しかし、ル・ボンは群衆(人間)は理性によって動く事はなく、感情的に理解出来たものに従い行動すると捉えていました。

 

その一例として、群衆はマリー・アントワネットの8歳の息子ルイ17世を監禁状態に置きます。
群衆の一人がルイ17世の教育係となりますが、病気の治療も行わず、日常的に言葉も含めた心身への虐待をしたりなどを続けていきました。
その後、ルイ17世はトイレも無い独房とも呼べる獄中に監禁され、その中で息を引き取りました。

 

ところで、このような事は《 目的の為には手段を選ばず 》とも言えますし、私達の身の周りの日常生活でよく見られる事象としては《 憂さ晴らし 》や、弱い者いじめとも言えるかもしれません。
そして、ル・ボンの『 極めて単純な形式 』とは言葉を変えると《 分かりやすさ 》とも言えますが、以前にある番組で現役官僚が言っていた次の事を私は想い出してしまいます。

それは、国民に深く突っ込まれたくないが(検証されたくはないが)、ドンドン推し進めたい政策では《 キャッチフレーズ 》のようなニュアンスにし、しかも、そのほとんどの言葉をカタカナや横文字(英語)にしてしまう事で《 フワッと感(曖昧でよく分からない) 》を出す手法をよく用いると、、、

つまり、国民に考える事をさせない、、、考えないように仕向ける、、、という手法になります、、、

 

そしてTOPICSでは《 過度な感情優位ではなく理性の活用を 》と伝えておりますが、そして繰り返しになりますが、何をどのように捉え考えるかにおいては知る事(知識)も大切で必要となります。
そして、感情であっても理性であっても、この源泉にあるのが《 心身両方 》です。

焦(きな)臭い 》や《 肌で知る 》などの言葉もあります、、、

そして《 シンプルである事と単純である事とは違う 》という事になります、、、

そして、ここでも先程のSNS等での拡散やバズる、特に短い文章や単語のみで構成されるものは《 行間を読めない 》という事に結び付いていきます。

 

今回のここ迄の内容におきましても、冒頭にお伝え致しましたように難しく感じていらっしゃる事と思いますが、現代(現在)の世の中や社会を見渡してみた際に、

 

わざわざ難しくし・・・

かつ複雑にしているのは・・・

自分達であって私達ではないのか・・・???

 

という側面にも目を振り向ける必要性もあります、、、

では、今回の前半はここで終了になりますが、皆さんお一人お一人が考える事が《 今ならまだ間に合う(手遅れにならない) 》という未来(将来)への鍵を握っております!!!

 

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