群衆心理(群集心理)が向かう先には:前半 ~理性からの協力と感情で群れる事の違い~

【 人間の集団は、それを構成する各個人の性質とは非常に異なる新たな性質を具(そな)える。
  すなわち、意識的な個性が消えうせて、あらゆる個人の感情や観念が、同一の方向に向けられるのである。 】

 

更に次の事も加えられております。

ル・ボン:
『 個人はその意識的個性を失うと、それを失わせた実験者のあらゆる暗示に従って、その性格や習慣に全く反する行為をも行うような状態におかれることがある。
  群衆中の個人は、もはや彼自身ではなく、自分の意志をもって自分を導く力のなくなった一箇の自動人形となる。
  それだから、人間は群衆の一員となるという事実だけで、文明の段階を幾つもくだってしまうのである。 』

 

ところで、冒頭の広辞苑でも「被暗示性」との定義がなされており、ル・ボンにおいても「暗示」という言葉が出て来ておりますが、このTOPICSでは、

 

自らが望まぬ(好まぬ)暗示は絶対に受け入れられる事はない

 

とお伝えし続けております。
そして、望まぬ(好まぬ)暗示を避ける為には、

 

考える事が必要であり・・・

考える為には(ある程度は)知る事が必要であり・・・

知るとは情報(への接し方)と大きく深く関係している・・・

 

という事になります。
つまり《 逆もまた真なり 》で、

 

知る・・・考える・・・これらを放棄してしまえば・・・

いとも簡単に無批判(無意識)で暗示に従ってしまう傾向に陥りやすくなる・・・

 

という事に結び付いていきます。
そして、

 

この「無批判(無意識)」が・・・

(先程の)「正義(感)」に巧みにすり替えられている事に気づけない状態・・・

 

となっていきます。
例えば「幽霊の正体見たり枯れ尾花」との言葉もありますが、《 自らの軸や芯 》を他人に預けてしまう(依存する)事がとても危険である事を示しております。

 

そして、このような光景を現代(現在)の日本に当てはめてみると、どうしてもコロナワクチン接種に関して《 目を背ける 》事は出来なくなります。

これに関しては2022年10月22日の第430回目のTOPICS『 アンバランスへの対応法 』でも触れておりましたが、コロナ過に入ってからのここ数年の超過死亡者数(※ 全ての死亡者数が例年に比べて増減したかを示す指標)が異常な迄に増え続けていると指摘する説もデータと共に既に示されておりますが、中にはコロナ感染が直接の死因であったり、コロナ過における閉塞的な状況等での自死(自殺)といったケースも含まれている事でしょうが、それだけでは到底説明出来る状況(死亡者数の増加)ではないとの指摘も以前から出されておりますが、何故、このようなとても重要(重大)な事をちゃんと分析し議論をしないのでしょうか、、、

不作為(「やってる感」も含め) 》や《 臭いものに蓋をする 》や《 見て見ぬ振り 》をいつまで続けるのでしょうか、、、

しかも、命や健康に大きく深く関係している事柄です、、、