【 暗示と群衆の関係 】
ル・ボンが考える群衆が、次のものです、、、
《 人間の集団は、それを構成する各個人の性質とは、非常に異なる新たな性質を具(そな)える。
すなわち、意識的な個性が消えうせて、あらゆる個人の感情や観念が、同一の方向に向けられるのである。 》
更に、次の点も加えています、、、
ル・ボン:
『 個人はその意識的個性を失うと、それを失わせた実験者のあらゆる暗示に従って、その性格や習慣に全く反する行為をも行うような状態におかれることがある。
群衆中の個人は、もはや彼自身ではなく、自分の意志をもって自分を導く力のなくなった一箇の自動人形となる。
それだから、人間は群衆の一員となるという事実だけで、文明の段階を幾つも下ってしまうのである。 』

ところで、冒頭に紹介した広辞苑でも「被暗示性」という言葉が出て来ました。
また、ル・ボンも「暗示」という言葉を使っています。
そして、TOPICSでは、
自分が望まない(好まない)暗示は・・・
受け入れる事は絶対にない・・・
と伝え続けています。
そして、望まない(好まない)暗示を回避する為には、
考える事が必要であり・・・
考える為には、(ある程度)知る事が必要であり・・・
知るとは、情報(への接し方)と大きく深く関係している・・・
という事です。

つまり、《 逆もまた真なり 》で、
知る事と、考える事を放棄すると・・・
いとも簡単に、無批判(無意識)で暗示に従う・・・
という傾向(怖れ)に陥りやすくなります。
そして、この「無批判(無意識)」が、
(先ほどの)「正義(感)」に巧みに、すり替えられている事に・・・
気づけない状態・・・
となります。
例えば、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」のように、
《 自らの軸や芯 》を他人に預ける(依存する)事は・・・
とても危険・・・
という事を示唆しています。

【 コロナワクチンから 】
この光景を現代(現在)の日本に当てはめると、コロナワクチン(接種)に《 目を背ける 》事は出来ません。
以前のTOPICS『 アンバランスへの対応法 』でも触れていますが、コロナ過のここ数年の超過死亡者数(※ 全ての死亡者数が例年に比べて増減したかを示す指標)が、異常な迄に増え続けている事実が、既にデータと共に示されています。
勿論、中にはコロナ感染による死亡や、コロナ過の閉塞感の影響による自死(自殺)などのケースも含まれているでしょう。
しかし、それだけでは、到底説明出来る状況(死亡者数の増加)ではないとの指摘も、以前から出されています。

何故、とても重要(重大)な事であるにも関わらず、ちゃんと分析し、議論しないのでしょうか、、、
《 不作為(「やってる感」も含め) 》《 臭いものに蓋をする 》《 見て見ぬ振り 》を、いつまで続けるのでしょうか、、、
しかも、命や健康に大きく深く関係している事です、、、